「三顧の礼」で迎えられた男

執筆者:梅田望夫2003年8月号

 ライトビット(http://www.lightbit.com/)社は、「高速光通信を低コストで実現する基本的技術」(スタンフォード大の研究成果)を引っ提げ、超一流ベンチャーキャピタル二社の投資を受けて、二〇〇〇年八月に設立された。しかし創業早々、材料面での技術的な大きな壁にぶち当たり、製品化に暗雲が漂い始めた。同社CEO(最高経営責任者)は、解決策を相談するために、その道の世界的権威、マーティ・フェイヤー・スタンフォード大教授を訪ねた。教授は即座にこう言ったという。「その難問は世界中でたぶんナカムラにしか解決できないだろう」 二〇〇一年五月のことだった。その日から「三顧の礼」電子メールが、東北大助手だった中村孝一郎(当時三十歳)宛に届き始めた。「ボルチモアの学会ですぐに会えないか」「うちを見学に来ないか」「明日からでも来てほしい」「ビザはこうしよう」「チケットはもう買ってある」矢継ぎ早の真摯な誘いに、中村の心は大きく動いた。「あなたの人生だからね」 恩師・伊藤弘昌東北大教授も中村の新しい挑戦に理解を示してくれ、中村は東北大を退職。二〇〇一年十一月、シリコンバレーにやってきた。「話には聞いていたけれど、シリコンバレーのシステムがここまで厳しいものだとは思わなかった。何月何日にカネがなくなるとわかっていて、しかも瀬戸際になるまで次の投資が受けられるかどうかわからない。会社の瀬戸際は、イコール自分の瀬戸際です。タイムリミットつきで駅伝を一区走らされているようなものでした。僕の仕事が製品開発の第一ステップ(駅伝の一区)で、そこがうまくいかないと社内のグループ(二区以降)の成果と結びついた製品化ができない。でも一年半かけて、僕はその一区を走り抜いた」

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