テルアビブにて

執筆者:大野ゆり子2003年8月号

 突然、「テルアビブで自爆テロ。死傷者多数」というテロップと共に、血を流して逃げまどう人々の映像がテレビで流れた。テルアビブのホテルに到着してまもなくのことである。旅立つ前に「バスにだけは乗らないで」とイスラエル人の友人から忠告されていたが、その事件もやはり、街の中心にあるバス停を狙ったものだった。 イスラエルのメディアは、強い調子でパレスチナを非難したが、私が話した人々は皆、落ち着いていた。ちょうど、イラク戦争が秒読みに入った時期であり、各家庭には化学兵器に備えたガスマスクが配布され、CNNテレビはパレスチナに報復をする巌のように強固なシャロン首相の表情を映し出している。しかし、デパートでの買い物やレストランでの食事といった日常生活の中にさえ、厳しい所持品検査があるこの国では、臨戦態勢という「非日常」も「日常」の中にスライドしているのかもしれない。むしろ、テロ事件によって紛争がエスカレートし、イスラエル、パレスチナ双方の罪のない人々の血がこれ以上流されることを危惧する声が多いのは意外だった。 多くの犠牲者が出たその日も、暮れようとしていた。ホテルのそばの海岸では、夕空が薄桃色に染まり、何もなかったかのように、波が寄せては返している。黒い影となった椰子の木はリゾート特有の、どこか間の抜けたのどかさで、微風にさわさわと揺れていた。この同じ海をずっと西に進むとイタリア、フランスといった、正真正銘の、のどかな地中海リゾートに達すると思うと、その落差に、この国の運命の複雑さと皮肉を思わずにはいられなかった。

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