日本郵政公社の東京支社長である岡田克行理事(1973年旧郵政省入省)の人事が、公社内に波紋を投げかけている。 岡田氏は七月十五日付で、郵便事業本部副本部長を兼任。上司となる同本部長が二年後輩に当たる佐々木英治理事(75年入省)だったことから、職員の多くが首を傾げた。入省年次の完全逆転は霞が関のキャリア人事では異例。岡田氏は前身の郵政事業庁時代に郵務部長(現在の郵便事業本部長)も務めており、後任者の部下となった形だ。明らかな降格人事でもあり、「これまでならあり得ない」(公社幹部)との見方がもっぱらなのだ。 この人事は、民間から鳴り物入りで就任した生田正治総裁(六八)が、「入省年次を重視する霞が関流人事ルールにとらわれないとの意思を明確に示した」(同)ものとみられている。実際に、生田総裁は「適材適所でいった」としている。 公社化されたとはいえ、職員の身分は以前と同じ国家公務員。にもかかわらず、霞が関の人事ルールはもう通用しないことが明らかになり、他の幹部職員も戦々恐々。ある役員は「結果が出なければ(降格や退職など)何でもありということか」と肩を落した。 二〇〇二年度の郵政決算では、郵便収入が八年ぶりに前年実績を下回り、最終損益が二百二十五億円の赤字に転落するなど、郵政公社にとって郵便事業の立て直しは緊急課題。今回の人事は、郵便事業本部の事業運営にどのような影響を及ぼすことになるのか。

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