バイリンガル都市に生きる

執筆者:大野ゆり子2003年9月号

 アフリカの無医村で伝染病治療に取り組み、ノーベル平和賞を受賞したアルベルト・シュヴァイツァー氏は、偉人伝に出てくる聖人のような姿の裏に、ユーモアを隠した茶目っ気のある人だったらしい。第一級のオルガニストであり、バッハ研究の第一人者でもあった彼は、人間洞察に富んだ辛口エッセイをいくつも残している。 その中に、「私は、自らをバイリンガルだと主張する人間を信用しない」というものがあった。氏自身は、ドイツ、フランス両国の支配を受けたフランスのアルザス地方の出身であり、幼少の頃から独語、仏語を完璧に話す「二カ国語使い」である。しかし彼をもってしても、仏語で大学の講演をしながら独語でものを書くのは、そうとう難儀だったというのだ。そこで、彼は「バイリンガル」と称する人間が来ると、やにわに「やっとこ」とか「ペンチ」といった大工道具が二カ国語で言えるかどうか、とっちめてみたそうである。その結果、ほぼ全員が一つの言語でしか解答できないことが判明したという。 私はこの理論を実証すべく、ひそかに氏の実験の続行を試みた。親友のMさんは、日本で生まれ、小学校から大学まで米国で教育を受けた。家庭では日本語だったため、世に言う完全な「バイリンガル」である。もちろん彼女には、私がいまだに苦労する固有名詞の「L」と「R」の聞き分けの問題などない。

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