スリランカに緊迫を呼ぶ「三つ巴の憎悪」

執筆者:浅井信雄2003年10月号

 スリランカの首都スリ・ジャヤワルダナプラ・コッテ(聖なる勝利を呼ぶ城下町)は、十四世紀のシンハラ民族系のコッテ王朝の首都ジャヤワルダナプラと同じ場所にあり、コロンボは植民統治下で建設された新首都であった。 一九八五年に旧都の場所に首都が復帰して立法・司法府を持ち、コロンボには行政府が残る。コッテ王朝の旧都への首都復活は、シンハラ民族の主導権を誇示した形だが、コロンボは多様な種族が共存する民族的るつぼである。 広大なインド亜大陸に近接し、東西貿易の要路にあたる事実が、スリランカの民族状況を翻弄してきた。米中央情報局(CIA)の二〇〇三年の推定では、総人口一九七四万二四三九人のうち、民族的には最大のシンハラが七四%、次いでタミルが一八%である。九九年の推定では、シンハラのほぼ全員が仏教徒、タミルはヒンドゥ教徒である。 両民族はともにインド亜大陸から渡来し、仏教とヒンドゥ教という有力な宗教文明をも持参した。紀元前五世紀、インド渡来のシンハラ民族は先住民族ベッダを制圧して初の王国を樹立、前三世紀から仏教を導入し、南インドのタミル民族とも友好的に交流した。 しかし、十一世紀にタミル民族が大挙襲来して以来、両民族はそれぞれ王国を築いて支配権を争った。スリランカの歴史の主流は、両民族の厳しい関係によって形成されてきたといえる。

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