FSB ロシア連邦保安局

執筆者:斎藤勉2003年10月号

旧ソ連時代、徹底したスパイ網を張り巡らせて国民生活を監視し、国外ではアメリカのCIAとしのぎを削った情報機関KGB。解体されて12年経ったいま、KGB出身のプーチン大統領の下で、組織の再編と復活が始まっている―― あの花火は今なお、筆者の目に熱く焼き付いて離れない。ゴルバチョフ・ソ連大統領(当時)を一時失脚させた共産党守旧派によるクーデターが「三日天下」に終わった直後の一九九一年八月二十二日深夜。モスクワ中心部の国家保安委員会(KGB)本部前のルビヤンカ広場で革命政権最初の秘密警察「全露反革命・サボタージュ取締り非常委員会(通称チェー・カー)」の初代長官であるジェルジンスキーの銅像が、民衆の怒涛のような民主化のエネルギーによって引き倒された。 その瞬間、熱帯夜を焦がした祝砲の花火は「国家の中の国家」「泣く子も黙る」と民衆を恐れさせ、米中央情報局(CIA)と肩を競い合ったKGBの解体とソ連帝国の事実上の崩壊を告げていた。血塗られたKGB史の終焉 共産主義体制破壊の旗を振ったエリツィン・ロシア大統領(当時)は早くもその約二カ月後、情報機関の大改革に着手する。まず十月二十六日、「ロシアKGBをロシア連邦保安機関(AFB)に改組する」との大統領令に署名。さらにゴルバチョフ大統領が「お別れ演説」を行なってクレムリンから退去しソ連が公式に消滅した十二月二十五日、「ロシア対外情報局(SVR)」を発足させた。

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