[パリ発]九九年八月十二日、南フランスのミヨーに建設中だったマクドナルドの店舗を、フランスの中小農家組合「農民同盟」指導者ジョゼ・ボベ(五〇)が襲撃した。これにより、ボベには「グローバル化に業を煮やし、奇天烈な行動にでた農民」というイメージが、米国や日本では定着した。 しかし、仏国内では、彼に対するイメージは大きく異なる。仏ジュルナル・デュ・ディマンシュ紙が今年八月に実施した恒例の有名人人気調査でも、スポーツ選手や芸能人に交じって、ボベは、俳優アラン・ドロンよりも上位の堂々二十七位。政治家で彼より上位だったのは二十一位のシラク大統領ただ一人だ。マクドナルド事件の後、彼は遺伝子組み換え技術の研究用イネを踏み荒らして有罪判決を受け、八月二日に南仏の刑務所から仮釈放された。直後にミヨー近くで開かれた市民集会には、彼を一目見ようと、三十五万人(主催者側発表)の市民が集まった。「構造的な暴力が襲いかかってきたら、時には法から外れた手段を使ってでも闘うべきだ。自らの将来は自らの手で決めなければならない」。ボベは事件についてこう説明する。 豪放で庶民的なイメージとは裏腹に、彼は根っからの農民ではない。父ジョジーはルクセンブルク人農学者で、仏国内で研究者としての公職を得るため帰化。その長男として、ジョゼはボルドーで生まれた。父の仕事の都合で三歳からの三年間を米西海岸で過ごした経験が、後に「英語を話す仏農民」として米英マスコミに重宝されることにつながる。ガンジーの流れを汲む非暴力・不服従運動に関心を持ち、エリート養成校の準備学級にせっかく入りながら一日で退学。その後は、最近別居するまで三十年近く連れ添った元妻のアリスとともに反戦運動の活動家となった。当時を知る者は「都会的でインテリで、むしろ慎重な男だった」と回想する。

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