「外相留任」の不可思議

執筆者:2003年11月号

 内閣改造が行なわれた九月二十二日昼過ぎ、川口順子外相は東京・芝公園にある外務省仮庁舎の講堂に職員を集めた。退任の挨拶をするためである。「未熟な私を今日まで長い間、ほんとうによく支えて下さいました。心より感謝いたします」。おそらくそう述べるつもりだっただろう。外相が職員の待つ講堂へ向かおうとしたそのとき、秘書官が駆け寄ってきてこう告げた。「総理からお電話です」 電話は外相に留任を求めるものだった。それまでに留任を示唆するようなものは何もなかった。むしろ、交代を前提としているとしか思えないことばかりだった。山崎拓自民党幹事長や竹中平蔵経済財政・金融担当相の更迭問題の陰に隠れて、新聞の予想記事は地味ではあったが、ほとんどが「外相は退任」と報じていた。外相候補は総裁選に出馬した高村正彦、党人派なら麻生太郎か古賀誠、などの名前が飛び交っていた。 国の基本政策である外交を、いつまでも民間人にまかせておくべきではない、そろそろ外交は政治家にまかせるべきだ、という共通認識が自民党内に充満していた。一方で重要な外交局面で川口外相の存在感は常に希薄だった。イラクへの自衛隊派遣という歴史的な決断を下そうというときに、外相はこの問題の埒外に置かれているような印象を世間に与えていた。また北朝鮮問題では昨年の小泉首相訪朝に至るまでの経過で、外相はすべてを報告されていなかったのではないか、という疑念が残った。

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