アメリカの外交は、その時々で大きく軸がぶれることがある。「強者」であるだけに、相手国には厄介だ。大統領選挙が来年に迫るインドネシアを例に、米外交の歴史的な混線ぶりを見ていくと……。 アメリカ外交はダブルスタンダード(二重基準)である。「国益」が外交の主柱になるのは当然なのだが、アメリカ建国以来の理念や理想主義がときおり主役に躍り出る。この「理想」は時と場所により「民主主義」、「人権」、「自由」、「環境」などさまざまな形をとる。これらの理想が「国益」と重なり合うか、モザイク状にからみあったりする。対イラク戦争遂行のイデオロギー的支柱となった「新保守派」(いわゆるネオコン)が中東の「民主主義」化とアメリカの国益=石油を結び付けたのもダブルスタンダードの亜種である。ダブルスタンダード外交はしばしば対象となる国や地域に混乱と災厄をもたらし、最後は反米ナショナリズムを掻き立てる。資源国インドネシアをケース・スタディに選んで、アメリカ外交の闇の部分をさぐってみた。資源利権を漁った人脈 ホワイトハウスを訪れる各国首脳は歴代大統領の肖像を目にする。二〇〇一年九月の同時多発テロの八日後に招かれたインドネシアのメガワティ大統領は、ブッシュ大統領の執務室から南庭に出る廊下になにげなく掛けられた一枚の絵を前に一瞬足を止めた。この絵は、憂愁に満ちたうつむき加減の故ケネディ大統領である。一九六三年十一月のケネディ暗殺のとき彼女は十六歳だった。彼女は、ダラスの悲劇のあとジャカルタのムルデカ宮殿を訪れた弟のロバート・ケネディに向かって、父スカルノがうめきながら発した言葉を思い出したかも知れない。「教えてくれ、奴らがジャック(ケネディの愛称)を殺ったわけを」。

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