シャロンとアラファト、罪深き「相互補完」

執筆者:立山良司2003年11月号

ロードマップ構想も崩壊し、再び暴力の応酬が始まった。オスロ合意から十年、なぜ中東和平はここまで後退したのか。 イスラエルとパレスチナでは激しい暴力の応酬が続いている。十月四日にもイスラエル北部の都市ハイファで自爆テロがあり、犯人のパレスチナ人女性を含む二十人が死亡した。イスラエルは翌五日、報復としてパレスチナ過激派「イスラム聖戦」の訓練基地とされるシリアのダマスカス近郊のキャンプを爆撃した。イスラエル空軍がシリア領内を爆撃したのは二十数年ぶりのことだ。 今年九月はオスロ合意(暫定自治合意)調印十周年に当たる。だが、イスラエルのラビン首相とパレスチナ解放機構(PLO)のアラファト議長の握手に寄せた、あの平和への期待はほとんど消えうせてしまった。イラク戦争後の中東に新秩序を構築するというブッシュ政権の青写真も引き裂かれ、イラクと中東和平問題が一体化して新たな危機に拡大する様相すら見せている。中東和平プロセスはなぜ崩壊してしまったのか。オスロ合意前に回帰したのか 個人のレベルでいえば、和平プロセス崩壊の最大の責任はやはりイスラエル首相シャロンとアラファトの二人にある。本人の意図が何であれ、シャロンが二〇〇〇年九月末にエルサレム旧市街地の聖地「ハラム・アッシャリフ」(イスラエル側の呼称は「神殿の丘」)に「視察」と称して足を踏み入れたことが、現在の暴力的な対立を引き起こしたことは否定できない。翌〇一年三月の首相就任以降、過激派を標的にした暗殺作戦など徹底した軍事対決を進めてきた。彼の強硬姿勢の背後にあるのは、占領地の保持を絶対視する大イスラエル主義のイデオロギーと、アラブを屈服させるのは力しかないという信念だ。

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