松下電器“V字回復”の真贋

執筆者:杜耕次2003年12月号

創業以来の伝統を塗り替え、業績の回復基調は鮮明になった。松下の復活は本物なのか。「中村改革」をあらためて検証する。「社名に込めた我々の意気込みを十二分に汲み取って欲しい」 十月一日、「TOP」と名づけられたその会社が北陸の地方都市でひっそりと産声を上げた。「タケフ・オリジナル・プロダクションを頭文字で表した」と関係者の一人は続けて説明を始めた。 新会社の従業員は四百八十五人。実は、直前まで彼らは皆、「武生松下電器」(福井県武生市)の社員だった。 八月二十七日の終業時刻近く、社員食堂に集められた武生松下の社員は、社長の岡龍吉から「年内で工場を閉鎖し、会社を清算する」と唐突に宣告された。 同社は一九七三年発足。家電用・自動車電装用モーターなどを生産してきたが、中国製品との競合や取引先メーカーの海外シフトが重なって業績が悪化。ピーク時(九二年三月期)五百億円あった売上高が二〇〇三年三月期には二百八十億円とほぼ半減し、債務超過に陥っていた。「来るものが来た」と多くの社員は腹を括ったが、社長に続いてマイクを握った中堅幹部が妙なことを言い始めた。「皆で資金を出し合って新しい会社をつくりませんか」。武生松下はなくなるが、雇用の場を自分たちで確保する。「中国に負けない“モノづくり”を続けていこう」と。工場建屋から機械設備、資材、原料まで松下側が貸与・準備するという。そして、新会社「TOP」の設立が決まった。

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