戦前の政党政治家のチャンピオンの一人だった犬養毅首相が陸海軍の青年将校に「問答無用」と暗殺された一九三二年の五・一五事件を機に、大正デモクラシー以来の日本の政党政治は終焉を迎えたといわれる。軍部にねじ伏せられた当時の政治体制は、今回の総選挙で民主党の菅直人代表が実現を訴えた「政権交代のある二大政党制」だった。政友会総裁だった犬養の前任の首相は民政党総裁の若槻礼次郎、その前の前は政友会総裁の田中義一、さらにその前は民政党の前身の憲政会総裁だった若槻と、天皇の指名によってではあったが、実際に二大政党間で政権のキャッチボールが行なわれていたのである。 それから七十一年。「憲政の常道」という言葉が廃れて久しい日本の国会に、再び二大政党時代が顔を覗かせることになった。 第四十三回衆院選の投開票が行われた十一月九日。東京・六本木のラフォーレミュージアム六本木に設置された民主党開票センターは異様な盛り上がりを見せていた。民主党候補の得票が各地で予想外の伸びを示している、ひょっとすると政権交代の可能性もある、との報道各社の出口調査情報が午後四時半ごろから続々と入ってきたからだ。 日本テレビ「自民二百二十一・民主二百五」、TBS「自民二百三十・民主百八十八」、フジテレビ「自民二百三十三・民主百八十」、テレビ朝日「自民二百二十・民主百九十三」、NHK「自民二百十四―二百四十一・民主百七十―二百五」。いずれも自民党の単独過半数(二百四十一)割れ、民主党の大躍進(解散時勢力百三十七)を予測していた。

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