日本を叩き潰した宋美齢

執筆者:徳岡孝夫2003年12月号

 金正日の嫁さんが、あの道路ガラ空きの国で交通事故を起して重傷。まさかと思っていたら重病説。どっちにしろコリア女には、世界はおろか国を動かす力はない。その点では日本女性も同じで、大臣などに「起用」されはするが、残念ながら国の命運を決めるほどのスケールと力量の持ち合わせがない。 だが、シナの女は違う。百六歳でニューヨークの自邸に死んだ宋美齢は、米中という世界の二大国を動かして結びつけ、大日本帝国を叩き潰した。彼女を主人公にすれば『三国志』を凌ぐ大河小説が書ける。 一九一二年に孫文が南京臨時政府の臨時大統領になってから四九年に毛沢東の共産党が天下を取るまでのシナは「中華民国」が国名で、略して民国と呼んだ。その時期に権力を握ったというより、国政から経済・金融・軍事・産業に至るすべてを壟断したのが「四大家族」だった。蒋介石、宋子文、孔祥熙と陳果夫・陳立夫がそれで、この陳兄弟は別にCC団という結社によって権力を広げた。 四大家族のメンバーはそれぞれ要職につき、蓄財に励みつつ蒋介石の独裁を助けた。それは底の知れない腐敗であり、国家の富の横領だった。私は子供の眼で一九三〇年代中頃の上海を見たが、人力車夫の顧客争奪や天秤棒に担がれた丸裸の「売り子」など、民国の民の貧しさは悲惨だった。

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