十二月十二・十三日両日にブリュッセルで開催された欧州連合(EU)首脳会議では、閣僚理事会の決定方式をめぐる意見対立からEU憲法の採択にまでは至らず、合意は二〇〇四年以降に先送りされることになった。 二〇〇二年十二月の欧州理事会でEUは中・東欧および地中海諸国の十カ国の加盟を正式に決定しており、二〇〇四年五月からは二十五カ国になる。この拡大に伴う制度改革は二〇〇〇年十二月、ニースで開かれた欧州理事会で合意していた。これを受けて二〇〇二年二月に発足した憲法制定諮問会議(議長・ジスカールデスタン元仏大統領)が二〇〇三年六月に憲法草案を公表し、十月から政府間会議で議論されていた。 ブリュッセルでの会議では、EUの大統領ともいえる任期二年半の欧州理事会常任議長の設置、EU外相の新設、欧州委員会の代表数・投票権、相互防衛政策などでは合意したが、閣僚理事会の意思決定方式では対立は解けなかった。その背景には、独仏を中心として進められる大国主導の統合に対するそのほかの国々の不満があった。閣僚理事会では「過半数を獲得し、賛成国の人口が六〇%以上に達した場合に議案は可決される」という憲法草案に対して、スペインとポーランドは強く反対した。ニース合意で両国は、英独仏伊の二十九票と遜色ない二十七票の持ち票が与えられることになっていたが、持ち票ではなく人口数重視ということになれば、四大国よりも人口数で大きく劣る二国の影響力は抑えられることになる。また、合意に達したものの、欧州委員会代表に関する草案についても、チェコ、ハンガリーをはじめ新加盟諸国が反対した。

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