天津を北東アジアの金融センターとすべく、中国の直轄市のひとつ、天津市が大変身に動き始めた。 天津はこれまで、李瑞環・前全国政治協商会議主席の地盤としてライバルの江沢民党中央軍事委主席から陰に陽に圧力をかけられ、北京や上海に差をつけられていた。陣頭指揮をとるのは、朱鎔基前首相の右腕で前中国人民銀行(中央銀行)総裁として金融改革を進めた戴相龍市長(五九)だ。 天津再興の目玉は、得意分野を活かした金融センターへの変身。二〇〇四年八月には市政府と市社会科学院が共催し、「東北アジア政経協力セミナー」を準備、金融センター構想をぶち上げようとしている。 この秋にはすでに、国内のほとんどの有力金融機関の経営陣を天津に招き意見交換。市政府関係者によると、戴市長は「北朝鮮の復興が始まれば天津のチャンスは一挙に大きくなる」と語り、日本などから北朝鮮に流れる巨額の復興資金の使途を天津がプロデュースする考えを漏らしたという。 また戴市長は市内の美観整備にも余念がない。河川・運河の拡幅や水質改善を進め、中型船も通航できるよう橋を高架にした。川沿いの不動産を積極開発してもいる。 注目すべきは、北朝鮮支援特需を睨み、旧満州国のラストエンペラーの溥儀が一時、身を隠していた天津の日本租界と遼寧省など東北各地のゆかりの史跡を、観光向けに共同開発しようと東北三省のトップに呼びかけたことだ。李瑞環が指導し、かつて都市建設のモデルとトウ小平に絶賛された天津の黄金時代を取り戻せば、市民からの支持も獲得できる。赴任から一年経って着実に独自色を打ち出し始めたようだ。

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