歴史という巨大な怪物のすさまじい力の前では、一人一人の人間の努力など、取るに足りないもののように思える。「天道是か非か」と嘆いたのは、自らも時代の奔流の中で悲痛な運命を甘受した司馬遷だった。ケイタイやメールで結ばれた、フラットな日常が支配する現代においても、歴史という怪物のこれからの成り行きは、多くの人々の重大な関心事であり続ける。西洋の圧迫の中での日本の近代。そして、今、中国の台頭。歴史の真実の前では、ITだ自由化だと笛を吹いて踊っている現代人も、謙虚にならざるを得ない。 歴史はとてつもなく複雑な現象である。歴史がこれからどのように進行して行くかを決定する方程式など存在しない。一つ一つの歴史上の出来事を、あらかじめ予言できるような一般原理も存在しない。一方で、数多くの歴史的事件を集めてその統計的性質を見る時、厳然とした普遍的法則が見えてくることも事実である。その普遍的法則とは何かということが本書『歴史の方程式』(マーク・ブキャナン著、早川書房)のテーマである。 戦争は、さまざまな理由で起こる。一九一四年のサラエボで、二人の乗客を乗せた車が、間違って抜け道のない狭い路地に迷い込まなければ、第一次世界大戦は起こらなかったかもしれない。戦争の発端や、その後の進行を予測する一般原理を立てるのは不可能である。予見不可能性が複雑系におけるカオスの一般的な性質である。蝶のはばたき一つでハリケーンが起こるかどうかが変わってしまうのである。

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