今も残るチェルノブイリの被害と囚われた医師

執筆者:サリル・トリパシー2004年1月号

原発事故被害の真実を突きとめようとした医師は、今も獄中にある。ベラルーシの圧政を物語る悲劇とは――[ロンドン発]ソ連時代、赤軍の少佐だったユーリ・バンダゼフスキー(四六)は、正規の訓練を受けた医師でもあった。一九九〇年、ベラルーシの「ゴメリ医療研究所」所長に任命されたバンダゼフスキーは、ソ連崩壊後もその職に留まった。各地の産科病院から寄せられる報告に目を通すうち、彼はひとつの異常に気がついた。胎児の異常により中絶手術を余儀なくされるケースが増えているというのだ。医師の間では遺伝子突然変異の症例も囁かれていた。一体なぜ、こうした事態が生じたのか? 原因を推測するのは、そう難しいことではなかった。一九八六年四月二十六日に発生したチェルノブイリ原子力発電所の炉心溶融は周辺地域を汚染し、ゴメリもその中に含まれていた。当時、事故の重大さを認めようとしないソ連政府の態度に国際世論の非難が集まる中で、バンダゼフスキー自身も深い衝撃を受けたと語っている。そして、原発事故による地域住民への影響を自ら調査しようと決意したのだった。 原子爆弾による短時間・大量被曝の被害調査と違って、原発事故による低量被曝の長期的影響を把握するには時間がかかる。たとえば放射性同位元素セシウム一三七の半減期は三十年と非常に長く、汚染地域の住民を長期間にわたって死の危険に晒す。放射能に汚染された食物を摂取すれば、肢体の変形(奇形)を生じる恐れもある。

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