また増える「価値観の違う家族」

執筆者:大野ゆり子2004年1月号

 ユーロ通貨流通からほぼ二年。貨幣は一つになっても、ヨーロッパ諸国それぞれの価値観は一朝一夕に変わるものではない。 友人の英国人女性が、フランス人男性と恋に落ちた。ふたりにとって、ちょっとした喧嘩の種となるのが食事である。食材を買いに行ったスーパーで、無造作にワインのボトルを手にとる彼女に、「ちょっと、今晩のメニューは何なの?」と待ったがかかる。「まだ決めてない」と答えるやいなや、彼は素早く彼女の選んだワインを棚に戻し、前菜、メイン、食後のコースメニューを自分で考え直し、それにピタリと寄り添うようなワインを選び直す。それはたとえば、チーズと同じ産地で、食材同士が謙遜しあい、お互いを引き立て合いながら慎ましく自己主張するような種類のもので、決して年代物の高いワインではない。前菜だって、市場で買ったもぎたての真っ赤なトマトにバジルの葉を一枚添えるだけのものだったりする。たかが食事なのに、と彼女は思うが、フランス人にとって食事というのは、味覚、視覚、嗅覚を研ぎ澄ます「神聖な儀式」であるらしい。フランス企業の管理職であり多忙を極める彼だが、「食事」は、いわば人間としての品格が問われる場面なのだ。

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