「小泉ドクトリン」という日本的死角

執筆者:船橋洋一2004年2月号

イラク戦争・復興に当たっての対米外交に、どのような戦略計算があるのか。小泉首相による自衛隊派遣の説明からは、そうした論理と利害が伝わらない。「名誉」を正面に据える「小泉ドクトリン」がはらむ外政面のリスクとは―― 自衛隊のイラク派遣は、その出し方だけでなく引き方も含めて、今後長期にわたる日本の行く手を決する歴史的な決定となるかもしれない。 軍を動かすという行為は、その国の姿と形をもっともよく映す。 なるほど、小泉首相が繰り返すように、自衛隊派遣は「軍事行動のためでも、戦争のためでもない」。それは人道・復興支援と治安支援のためである。憲法上も法律上(イラク特措法)も、それ以外の役割を果たすことは出来ない。 にもかかわらず、その目的の何たるかを問わず、軍を出すということはそれ自体の重い意味合いを持つ。軍(人)の海外プレゼンス(presence)は外交(官)の海外プレゼンスとは違う。陸上自衛隊の場合、なおさらそうである。「陸」の海外駐留は「海」のそれと異なりプレゼンスでなくデプロイメント(deployment)となる。プレゼンスが外交的概念であるのに対して、デプロイメントは軍事的概念である。イラクの多くの人々が、どのような使命と役割を与えられようとも、派遣される陸上自衛隊を英米「占領軍」の一翼を担う存在と受け止めるのはむしろ自然なのである。

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