政界の一大勢力となるにつれ、塾出身者の力を政界再編に利用しようとの気運もあちこちで噴き出している。一方、一時は風前の灯火だった政経塾本体も、名声の高まりと共に熾烈な主導権争いの舞台となっていった。 古くて新しい命題――。松下政経塾出身の国会議員には、「政経塾新党」の構想をこう表現する者がいる。二十年前から何度となく浮上してきた塾出身者による新党構想。昨年も、塾周辺でふたつの動きがあった。 そのうちのひとつの中心にいたのが、京セラ名誉会長で、創設当初から一貫して政経塾の評議員を務める稲盛和夫である。昨年七月に発表された民主党と自由党の合併で、稲盛が大きな役割を果たしたことは自身もインタビュー(『アエラ』二〇〇三年十一月十日号)で認めている。関係者の話では、もともと自由党党首・小沢一郎と親しかった稲盛が、自らが東京後援会長を務める民主党衆議院議員・前原誠司(松下政経塾八期)を通して民主党代表・菅直人と会い、合併の仲立ちをしたのだという。 しかし、民主と自由の政党合併は、実は稲盛にとって「次善の策」だったようだ。取材に応じなかった稲盛に代わって、彼に近い関係者が証言する。「政権交代が可能な政治を実現したい、というのが稲盛さんの思いですが、本音は政経塾出身者が中核となる新党を作ることだった。鳩山(由紀夫)さんが民主党代表として自由党との合併に失敗し、稲盛さんは政経塾新党を具現化しようとしていた。そこに小沢さんからアプローチがあって、稲盛さんも新民主党でやってみようという考えに変わっていった」

記事全文を印刷するには、会員登録が必要になります。