1面から日本が消えた

執筆者:石澤靖治2004年3月号

 私は今年三月までの予定で、政権とメディアについての研究のために米ワシントンに滞在している。アメリカでの生活は一九八〇年代後半から九〇年までハーバード大学に留学していたとき以来である。帰国後の九〇年代の前半はワシントン・ポストの極東総局(東京)に勤務したが、今回その当時との違いを改めて実感している。 九〇年前後はいうまでもなくジャパンバッシングが激しく燃え盛っていた時代だった。留学していたころは異常な注目といわれなき非難を浴び、ワシントン・ポスト時代は日本を敵視する海外メディアの報道とそうした報道に右往左往する日本の状況をみて、何とも複雑な思いをしたものだ。 当時、米メディアには気合が入っていた。九〇年に東京支局長だったスティーブン・ワイズマンは現在、ニューヨーク・タイムズ紙の外交報道を統括する記者としてその時々の米外交の最も重要な問題を担当している。彼とともに勤務しその後任となったデイヴィッド・サンガーは少なからぬ問題報道もあったが、現在はイラク問題と北朝鮮問題でブッシュ政権が最もマークするホワイトハウス担当記者としてスクープを連発している。こうしたエース級が続々と日本に投入されていた。

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