九州で知った日本の精神

執筆者:西川恵2004年4月号

 日程が合わず、仕切り直しが何回か行なわれてきたフランスのドビルパン外相の初訪日がやっと実現した。二月二十九日夜、特別機で福岡空港に到着。大宰府に近い日本旅館「大丸別荘」に入ったのは午後十時近かった。 旅館の座敷で、随員やモンフェラン駐日大使らとの内輪の夕食会が開かれた。「事前に椅子ではなく座敷でと言われていました。最初、ドビルパンさんは長い足が窮屈そうでしたが、前に出してお楽になったようです」と女将。メニューは会席料理。蕗のとう、刺身、豆腐の粕汁、子持ち昆布、胡麻白和え、鴨鍋、締めはジャコご飯。外相は日本酒の杯を重ね、座は盛り上がり、お開きになったのは深夜十二時を回っていた。外相は部屋に戻ると、座敷に敷かれた布団にもぐり込んだのである。 外相の初訪日を東京での限られた外交接触に終わらせず、日本理解の機会としたいと考えたフランス側が念頭に置いたのはポール・クローデル(一八六八―一九五五年)だった。詩人、劇作家でもあった外交官のクローデルは一九二一年から六年間、駐日フランス大使を務めた。今年は実業家の渋沢栄一と共にその設立に奔走した日仏会館八十周年、来年はクローデル没後五十年と節目が続く。

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