六本木ヒルズ事故を生んだ「王の驕り」

執筆者:杜耕次2004年5月号

絶頂期から一転、森ビル社長は死亡事故の責任と経営責任を追及される立場となった。安全対策を怠ったツケは重い。「私どもはいま、何をすべきかが問われている。様々な角度から検証し、お子様や高齢者、障害者の方々にとって真に安全で快適な街を実現すべく、全社総力を挙げて取り組まねばならない」 四月一日の森ビルの入社式。冒頭、新入社員三十七人を含む出席者全員が黙祷した後、社長の森稔(六九)はこう訓示した。会場は六本木ヒルズ・森タワー内にある本社会議室。本来晴れやかなものになるはずだった新入社員の門出は、前週の痛ましい事故で暗転してしまった。「回転扉はもう使わない。二度と事故が起きないように抜本的な対策を立てたい」――三月二十八日、森稔は大阪府吹田市の葬儀場前で唇を噛み締めていた。 二日前の二十六日、地上五十四階建ての巨艦ビル、森タワーの自動回転扉に六歳の男児が挟まれて死亡した。森稔は男児の通夜に弔問に訪れたのだが、遺族に参列を断られ、祭壇の方向に一礼して出てきたところを報道陣に囲まれた。 二十七日の記者会見で森ビルは、開業一年足らずのうちに回転扉に絡んだ事故が他に三十二件も発生していたことを明らかにした。「“好事魔多し”だなあ」「再発防止をしっかりやります」などと当初は緊張感に欠けていた関係者のムードが一変したのはこの記者会見から。報道各社の論調も一斉に「人災」へと傾いた。そして三十日には警視庁捜査一課が「異例の早さ」で、業務上過失致死容疑で森ビル本社などに家宅捜索に入った。

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