駐日外交官の妻となった日本女性たち

執筆者:西川恵2004年5月号

 雨に煙る早稲田大学の大隈講堂で、三月二十二日、二月末に亡くなった早大名誉顧問の故大隈信幸氏(享年九十三)のお別れの会がしめやかに催された。 同氏は早大創設者、大隈重信の孫で、戦後、貴族院議員、参議院議員を経て、一九五三年に外務省に入省。駐ウルグアイ公使、駐ガーナ大使、駐コロンビア大使を歴任した。白井克彦総長が「早稲田大学は、私どもが敬愛してやまない創立者大隈重信先生と大隈家なくしては存在しえませんでした」とあいさつし、三年後の大学創設百二十五年を見ずに逝った故信幸氏を惜しんだ。 校旗が捧げられ、早大応援団による荘重な「都の西北」が講堂を満たした。質実で心のこもった会だった。先に告別式も大隈講堂で持たれており、早大と大隈家の深いつながりを見せたのである。 遺族席で目を引いたのはルイス・マキャベロ駐日ペルー大使(七二)である。故信幸氏には三人の娘があり、大使は二女の治子さんと結婚していた。つまりマキャベロ大使にとって故信幸氏は義父に当たる。参会者の中には中南米各国の大使の姿もあり、外務省引退後も中南米各国との友好協会会長を長年務めた故信幸氏への敬意とともに、女婿であるマキャベロ大使にお悔やみを伝える気持もあったと思われる。

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