「龍川大爆発」を振り返る日

執筆者:徳岡孝夫2004年6月号

 これまでに二度、大爆発から遠くない場所にいたことがある。 一度目は昭和十四年三月一日。年表には「大阪・枚方、陸軍火薬庫爆発」とある。小学三年の私は稽古が済んで、習字の先生のお宅を出たところだった。ドカンドカンと爆音がして、見ると東の空に高々と黒煙が上がっていた。隣の町かと思うほど近かった。爆音はしばらく続いた。 死者九十四人、負傷六百人、焼失家屋五百余戸。すでに日中事変下だったが、大爆発の概要は新聞に出た。詳細は口コミでまもなく伝わってきた。 私の家は大阪・梅田と神戸・三宮のほぼ中間の西宮北口だった。地図で測ると、枚方から直線距離で三十キロ弱である。その時から二十四年後、私は妻子を連れて火薬庫跡に建った団地に移った。小高い丘に囲まれ、天然の火薬庫のような地形だった。にもかかわらず、大爆音は三十キロ先に届いたのである。 二度目は一九七五年四月二十八日早朝。私は南ベトナムの首都サイゴンで、異様な風を顔に受けて目が覚めた。二メートル四方はあろうかというホテルの窓が、鉄枠ごと開いて内側に回転し、就寝中の私の鼻先を通過したのだった。ベッド上に起きていたら、頭をガンとやられただろう。 開け放たれた窓から、ドカドカンと爆音が聞え、三十分ほど続いた。サイゴンから三十キロのビエンホアにある政府軍弾薬庫が、北ベトナム軍に爆破されたのだった。

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