自民党政治を支えてきた「暗黙の了解」という「非公式な調整メカニズム」。これが崩れて久しいにもかかわらず、とって代わるべき新たなルールはない。そのためにすべては中途半端なまま。だが水面下には確かな動きがある。「自民党政治は脆弱な土台の上に立つ立派な建物のようなものである。従って、いつ崩れてもおかしくはない」 一九九〇年代、日本社会が大きく変貌する中で、自民党政治を支えてきた社会基盤が崩壊し、いわゆる「永田町の論理」が通用しなくなっていることを指摘してきたジェラルド・カーティス氏は、表面上大きな動きがないかに見える現在の政界においても、水面下には確かな動きがあると見る。参議院選を前に、四十年近く「外部の目で、内側から」永田町を見続けてきた教授の目に、現在の日本政治はどう映っているかを聞いた。「マナーからルールへ」――最近、お気に入りのフレーズがあるそうですね。カーティス 千代田区の街頭で喫煙が禁止された頃から、街のあちこちで「マナーからルールへ」というポスターを見かけるようになりました。私は、これは今の日本を象徴する言葉だと思うのです。誰に何も言われなくても歩きタバコはしないし、空き瓶のポイ捨てもなかった。そういう社会から、ルールを決めて規制しなくてはならない社会に日本が変わった。つまり、それまで社会を支えてきた「暗黙の了解」が機能しなくなり、代わって透明性のある規則が必要になったということです。それに従って、ルールの専門家である弁護士や公認会計士がこれまで以上に必要となっている。それが今の日本社会なのです。

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