裁判員制度で逆に見えなくなる法廷

執筆者:橋詰悦荘2004年7月号

司法改革の目玉、裁判員法が成立した。だが、その制度設計には不備も多い。三つの問題点を指摘する――。「陪審制を単に司法制度としてみなすに止まるならば、思考を甚だしく狭めることになるであろう。陪審制は何よりも政治制度なのである。陪審制は常にこの観点から判断されねばならない」『アメリカの民主主義』を著わしたフランスの歴史家トクヴィルは、十九世紀の段階でそう指摘していた。 裁判制度は政治制度そのものであり、日本における裁判員制度の導入は、年金の制度改革同様、国としての基本的骨格にかかわるテーマである。だが、五月二十一日にあっさりと裁判員法を成立させた日本の政治家のうち、一体何人がこの指摘に思いを馳せていたことだろうか。 改革案は法曹の専門家を中心に議論を積み上げてきたが、三権の一翼を担う司法制度の大改革ならば国権の最高機関である国会でこそじっくりと議論されるべきだったのではないか。だが、通常国会前に日弁連執行部周辺からは「とにかく通せ」という本音が漏れていた。裁判員法の最大の推進役である日弁連は「まず、司法に市民参加の風穴を開けること」を最大の目標にしていた。ここで廃案になれば次の機会はないという焦りに苛まれ、自民党の一部からの巻き返しを恐れた挙句、“最後”のチャンスを活かすことだけに汲々としていたのだった。議員自身にも、徹底的に審議するという意欲が欠けていた。四月初旬、法務委員会に所属し、「夢は司法改革」と公言する若手議員に法案の不備を指摘したところ、「もう賛成で決まっていますから」という答えが返ってきて唖然とさせられた。

記事全文を印刷するには、会員登録が必要になります。