T
投稿者:
The Sovereign
2013年04月27日02時04分
「弱者の武器」としてのテロ
なぜテロは起こるのか。つまり、なぜテロリストはテロを起こすのかという問題は9・11以後国際政治の議論で頻繁に論じられるようになりました。逆に言うと、9・11以前はほとんど論じられていませんでした。9・11以前はテロが少なかったかというとそんなことはなく、件数でいえば、1980年代がテロのピークでした。
では、なぜテロが国際政治の問題としてここ十年取り上げられるようになってきたかというと、当然のことながら、9・11のテロの衝撃が大きかったからということになります。9・11は、いろいろな意味で「テロの例外」と言える事件でした。通常テロはボストンマラソンのケースのように、(特に戦争と比べると)犠牲者の数そのものはそれほど多くなく、数人から多くても数十人が死亡するというのが典型的なテロのケースです。そして、テロリストの動機という意味でも、宗教的な要素が動機となったケースが増えてきたのは21世紀になってからで、20世紀のテロは分離・独立運動(スペインのバスク独立運動、スリランカの自爆テロなど)や共産主義運動に基づいたテロが中心でした。1991年にソ連が崩壊したことによって、1990年以降80年代に比べてテロが少なくなっているのはこのためです。
つまり、「テロ対策」というのは今回のボストンマラソンのテロ事件のようなケースを想定して練られるべきで、アルカイダのテロは例外的なケースと考えるべきなのです。その意味で、池内さんが記事の中で指摘している通り、世界は厄介な問題に直面していることになります。戦争や内戦での交渉と違って、テロリストは秘密性をその武器としているので、交渉に応じるインセンティブはなく、テロを防止するためにテロリストが何を求めているかを見極めて交渉しようにも、交渉相手が誰になるのかもわからないというのが現実です。ということで、テロ対策の対象は無差別な個人、全員を対象にするとコストがかかりすぎるので怪しそうな人、そこで誰が怪しいかということになって、疑心暗鬼の社会ができてしまいます。
これこそがテロリストの狙いなのです。テロリストは極端な思想・心情をもっているので、大多数の人からは支持されません。つまり、選挙や議会といった国家の通常の政策決定過程を経て自分たちの要求を実現することはできません。また、テロリストのグループが束になってかかってもアメリカや日本のような軍事力が整備された国と通常の戦争を行って勝ち目があるはずもありません。そして、テロで「少数」の人を殺傷することによって「多数」の人に「心理的な恐怖」をあたえることによって、影響力を得ようとするのです。これがテロが「弱者の武器」と言われる所以です。
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J
投稿者:
JSHIBA
2013年05月03日01時38分
殺人を行うには道具が必要ですが、その道具にはハードとソフトがあるように思います。
今回の圧力鍋爆弾はそのハードに当たるもので、少し無理をすれば誰にでも手に入るものです。問題は、ソフトの方で、殺人の動機や正当化にかかわるものだと思います。その点で、今回の池内さんの指摘は重要だと思います。潜在的なテロリストにテロを実行させる敷居を低くする可能性があるからです。
実に、難しい時代になったものだと思います。
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A
投稿者:
AprilHare
2013年05月03日22時18分
非政治的大量殺人にただ乗りしただけかも
記事ではアル=カーイダの宣伝戦によってテロが誘発された可能性を指摘していますが、あえて逆の意見を述べます。
今回の犯人は、たとえ『インスパイア』がなくても疎外の末に非政治的な大量殺人をやらかす運命だった、かもしれません。その場合、アル=カーイダ側としては発生した事件を自分の戦果だと主張できます。テロリストには死傷者よりもむしろ恐怖や悪名の方が重要だと考えると、これはこれで狡猾な戦略です。
そもそも、アラビア語ではなく英語のジハード雑誌を読むような(つまりアラビア語に通じていない)イスラム初心者がジハードというイスラム的概念を(歪んではいようとも)本人なりに真剣に受け入れるというのは、あまり納得のいく姿ではありません。動機の大部分は疎外の果ての非政治的な大量殺人で、ジハードは単なる口実(テロリストというラベルやテロ組織という他者とのつながりを求めての)だと思います。あるいは、大部分ではなく全部かもしれません。
何らかの形で疎外されている人はどこの国にもいますし、疎外が原因かもしれない大量殺人は日本でも発生しています(秋葉原通り魔事件や津山事件など)。潜在的大量殺人犯がテロ雑誌によって「目覚めてしまう」可能性や誰かが『インスパイア』を日本語に訳して放流する可能性を考えると、イスラムとは縁の薄い日本でも同様の事件が起きる可能性はゼロではないかもしれません。
従って、この件は政治的問題というよりも社会や犯罪の問題として考えた方がいいのではと思います。
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なぜテロは起こるのか。つまり、なぜテロリストはテロを起こすのかという問題は9・11以後国際政治の議論で頻繁に論じられるようになりました。逆に言うと、9・11以前はほとんど論じられていませんでした。9・11以前はテロが少なかったかというとそんなことはなく、件数でいえば、1980年代がテロのピークでした。
では、なぜテロが国際政治の問題としてここ十年取り上げられるようになってきたかというと、当然のことながら、9・11のテロの衝撃が大きかったからということになります。9・11は、いろいろな意味で「テロの例外」と言える事件でした。通常テロはボストンマラソンのケースのように、(特に戦争と比べると)犠牲者の数そのものはそれほど多くなく、数人から多くても数十人が死亡するというのが典型的なテロのケースです。そして、テロリストの動機という意味でも、宗教的な要素が動機となったケースが増えてきたのは21世紀になってからで、20世紀のテロは分離・独立運動(スペインのバスク独立運動、スリランカの自爆テロなど)や共産主義運動に基づいたテロが中心でした。1991年にソ連が崩壊したことによって、1990年以降80年代に比べてテロが少なくなっているのはこのためです。
つまり、「テロ対策」というのは今回のボストンマラソンのテロ事件のようなケースを想定して練られるべきで、アルカイダのテロは例外的なケースと考えるべきなのです。その意味で、池内さんが記事の中で指摘している通り、世界は厄介な問題に直面していることになります。戦争や内戦での交渉と違って、テロリストは秘密性をその武器としているので、交渉に応じるインセンティブはなく、テロを防止するためにテロリストが何を求めているかを見極めて交渉しようにも、交渉相手が誰になるのかもわからないというのが現実です。ということで、テロ対策の対象は無差別な個人、全員を対象にするとコストがかかりすぎるので怪しそうな人、そこで誰が怪しいかということになって、疑心暗鬼の社会ができてしまいます。
これこそがテロリストの狙いなのです。テロリストは極端な思想・心情をもっているので、大多数の人からは支持されません。つまり、選挙や議会といった国家の通常の政策決定過程を経て自分たちの要求を実現することはできません。また、テロリストのグループが束になってかかってもアメリカや日本のような軍事力が整備された国と通常の戦争を行って勝ち目があるはずもありません。そして、テロで「少数」の人を殺傷することによって「多数」の人に「心理的な恐怖」をあたえることによって、影響力を得ようとするのです。これがテロが「弱者の武器」と言われる所以です。