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投稿者:AKBN232014年04月20日00時34分
この件、よく理解できないことが多いのですが、

「コピペはダメ」と言うのが定説のようですが、
文書作成でコピペの効率アップ力は大きい。
他人の文章や画像を使うなどは著作権違反ですが、ある考えを述べるのに、過去の自分の論文の表現をそのまま使うならコピペをするのは当然です。まさか、博士論文の著作権が大学にあるとは思えないのですが。もちろん、何か誤解させることにつながるなら、コピペでなくてもダメです。コピペに罪があるわけではないと思うのですが。

この関連の報道で、特許の話が殆どないので、事態が分かりにくいのではないかと思います。論文を取り下げらら、特許審査での「技術公表時期」が、ご破算になる。今の状況では特許取得の可能性は低いにしろ、ゼロにすることはないと思うのが普通ではないでしょうか。
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投稿者:ZC2014年04月23日00時05分
この事件ほど科学界とそれを構成する人々について考えさせられたことは私はこれまでありませんでした.様々な事情に翻弄された当事者の方々には一種の敬意すら感じますが,これほど奇妙なことが散見された事件もないでしょう.
まず,教育課程にある学生のレポートでコピペは教育上ダメでしょう.博士論文の審査は早稲田大学もしくは審査官の責任で,本人の責任ではないでしょう.仮に早稲田大学が責任をとるのであれば,博士論文の不備を見逃したことと(→学位撤回?),本人に対して博士の学位を授与した状態にあったことの双方について早稲田大学と指導教員が責任を取る必要があるでしょう.一方で,本人がコピペを繰り返していたということが明らかになるとこれは本人の信用には跳ね返るでしょうが,研究論文で提案されたアイディアそのものの価値には関係が無いでしょう.誰が微に入り細を穿ったこんな詳細な調査を短期間でしたのかもポイントですが,これは匿名性が守られているようですね.科学的な研究成果は公知ですからそれを使って論を展開するのは論文では許されていると思います.引用がないのであれば,それは一種の不親切ということで,その論文を理解できる人が減るかもしれないというリスクを著者が犯しているだけの話でしょう.極端な話,Newtonの運動方程式を今どきの研究論文で誰が引用するでしょうか?
 小保方氏が「まだ教育されてしかるべき未熟な若い研究者」であるか,もしくは小保方氏を「まだ教育されてしかるべき未熟な若い研究者」として公に取り扱っておきたい権威のある方々が居るのであれば,今回の動きは合点がいきます.AKBNさんご指摘の特許もポイントで,筆頭はバカンティ先生のようですが,こちらについては取り下げ話やバッシングは無いのですね.実験ノートも権威のある先生方が持論を展開されていますが,実験ノートがきちんとつけられていれば真実が伝えられていると確信できるのですか?もちろん実験ノートを研究室の学生さんに指導していただくのは結構です.しかし,はじめから悪意を持って実験ノートをつけていたら,どうなるんでしょう?実験ノートをつけよと指導する時には性善説に立ち,小保方氏に実験ノートを見せろという時には個人的に性悪説立っているように見え,一種のダブルスタンダードを体現した話のようにも思えます(もちろんそれ相応の疑念が生じたようだということではありますが.).研究機関で実験ノートを管理するなんて話もありますが,まるで研究機関当局が科学界の専制君主になろうというような話で,ちっとも感心しません.(もっとも一部の人にとってこれはとてもよいチャンス!だとは思います.)
 注目される結果であるのですから,世界中の科学者たちの検証を待つ気の長さも必要でしょう.一方で,政治は短期に物事を判断しますから,あまり長期的に構えていては理研にお金は来ないでしょう.さらに,科学的なエビデンスは論文を投稿した雑誌に提出すべきもので,記者会見でことさら取り扱うものではないでしょう.所詮,証拠なんてキリのないものですし,小保方氏の表情,仕草から真実性,もしくは演技が公開された記者会見で窺い知れればその目的は達したことになります.もちろんミスをしたのは良いことではないですが,記者会見で小保方氏が公に自らの意見を発信する権利はあるでしょう.あれだけ言われっぱなしなのですから.それが正しいかどうか証拠の検証は投稿雑誌,学術界を中心に科学的な検証が取り扱う問題です.
 記者会見で「悪意」とは何か?という質問が出ましたが,これには小保方氏も詰まってしまいました.シンプルながら哲学的な質問ではありますが,「人を欺こうとする明確な意図を持った行為」を言うのか,「知りながら言わないことを無作為に繰り返す」ような一種の「良心の欠如」も含むのか,なかなか難しい問いかけでした.同様に「ミスを繰り返す」といったことをどう捉えるのかといったことも考えると,結局それは本人が「知っていたのか」「どんな意識であったのか」といった本人しか知り得ないですし,場合によっては無意識的な部分に沈降していく問題です.そもそも小保方氏の論文に対して,細かな間違い等等が次々に指摘はされましたが,科学的な反証と自らの論文を持って小保方氏の論文に立ち向かった科学者がこれまで出てきていないことも,事態の異様さを強調しているように思います.現時点である人が再現実験をちょこっとやってみたけど出来なかったという類のことは,その再現実験がダメなのか小保方氏の論文がおかしいのか,いずれかを示す根拠にはなりません.ある人が再現実験を失敗したと書いて,だから小保方論文が駄目であるかのような淡い考えを持つ人は,科学的な論理を理解していないようにすら見えます.否定形を科学的に証明するのは原理的に非常に困難です.また,再現実験の論文だって小保方氏の論文のように厳しい視線にさらされて普遍性を求めて淘汰されるべきものです.小保方氏の論文に瑕疵があるのであれば,正確なerrataを投稿誌に出して前に進めばいいじゃないかと思います.これまでerrataが出された論文なんて探せば腐るほとあるのではないですか?仮説だって一定の根拠を示しながらどんどん論文にしたら良いのです.
小保方氏の記者会見後,小保方氏の真実性を感じた世論によろめいたのか,共著者の偉い先生方から小保方博士を理解する旨の発言が相次いだことも,彼らの生き様が垣間見れたように思い,興味深く拝見いたしました.科学界というものの人間臭さ,政治臭さと日本における科学とその成果および知見といったものに対する認識の歪みも感じられた事件でした.駆け出しの研究者が偉い先生方を差し置いてすごいことかもしれない発見をした時,今後もこういったことが繰り返されるのでしょうか?現代の科学界も本当に性善説で構成されているのでしょうか.結局何が本当なのか短期的には簡単にはわからない問題について,すぐに白黒つけようとしているようで,とても奇妙であることは確かですし,最終的に何が本当なのか皆さんが知りたがっていることも,理研の実験ノートが売り切れたことも確かです.
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投稿者:tm2014年04月24日07時26分
件の論文には、共著者の笹井氏 (Y.S.) が、研究の立案と実行および原稿の執筆を担当したと書いてあります.

http://www.nature.com/nature/journal/v505/n7485/full/nature12968.html#contrib-auth
H.O. and Y.S. wrote the manuscript. H.O., T.W. and Y.S. performed experiments, and K.K. assisted with H.O.’s transplantation experiments. H.O., T.W., Y.S., H.N. and C.A.V. designed the project. M.P.V. and M.Y. helped with the design and evaluation of the project.

しかし、先日の会見では笹井氏の責任転嫁の発言ばかりが目立ちました. 部下の業績は自分の業績、部下の不始末は部下の責任という非常に分かり安い態度だと思います. 闇は相当に深そうですね. 今回の事態を見ていて芥川龍之介の藪の中が頭に浮かびました.