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投稿者:edo.kobayashi2017年03月01日16時43分
東芝の「辻褄合わせ」の文化を見ていると、ギャンブルにはまり、負け金を取り返すために掛け金をどんどん大きくして、結局破綻するという姿を重ね合わせてしまいます。本来事業は、顧客から価値を認められる商品・サービスを提供することが根本にありますが、そこは現場に任せきり(過去に築いたブランドに慢心し)だったのではないでしょうか。また、原発関連事業は国がなんとかしてくれる、という意識もあったのでしょう。こう考えてくると、事業に対する経営層の主体性が見えません。
投稿者:色空無2017年03月02日12時02分
最近思い納得することがあります。
人としての「劣化」、「傲慢さ」、「無責任化」、が際立ってきていることです。
高学歴で人の上に立つ者に特に見受けられるように思います。政治家、官僚、弁護士、
医師、教育者・・・
企業役員も然りですね。長年企業トップでいた者が、引き続き顧問・相談役、はたまた
名誉・・・と居座る。俺が俺が・・・と思いが強く、それを後任トップは無視出来ない。
株主の了解もない人物が企業の経営判断を実質取り仕切る。この無責任で傲慢な姿こそ
今の日本の姿ではないでしょうか。
その人間があろうことか他社の社外取締役に就任する。が、実質何も判断しない。当たり
障りのない質問をして報酬を貰う。人生を勝ち残った者同士で果実を配分し合う。醜い
ですね。
かって倒産しかけた東芝を再建した土光さんも草葉の陰で顔を覆っていることでしょう。
今世界中で既往の社会に対する反発が起きています。そのことが人間の劣化を更に進め
ることにならなければいいのですが。
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投稿者:naturalist2017年03月01日15時53分
東芝はここ数年間無様に生きながらえてきていますが、日本産業界の古い体質を象徴しているように思えます。