やっぱり残るは食欲
やっぱり残るは食欲(10)

キャベツ巻きそれぞれ

執筆者:阿川佐和子 2018年8月5日
エリア: 日本
「我が家ではロールキャベツとは言わず、キャベツ巻きと呼んでいた」
 

 子供の頃は、ご飯に合うおかずがなんといってもごちそうだった。逆に言えば、ご飯に合わないおかずが出てくると、がっかりしたものだ。
 そのことを思い出したのは、12代目市川團十郎夫人の堀越希実子さんが書かれた『成田屋の食卓』を開いたときである。團十郎さんの好物の1つにロールキャベツがあったという。縦長の茶色い器に、よく煮込まれた様子のロールキャベツが3つ、上品に、おいしそうに並んでいる。その写真を見て、たちまち懐かしくなった。
 「そうだ、昔、ウチでもよくキャベツ巻きが出てきたな」
 我が家ではロールキャベツとは言わず、キャベツ巻きと呼んでいた。そして「今夜のおかずはキャベツ巻き」と告げられると、こころなし残念な気持がしたのを覚えている。私にとって、ご飯に合わないおかずの筆頭が、キャベツ巻きだったのだ。
 今振り返ると、なぜあれがご飯に合わないと決めつけたのかわからない。でも子供にとっては、どう考えても合わない献立に思われた。父の好物だったのかしら。子供が失望するわりに、母は比較的頻繁にキャベツ巻きを作った。
 寸胴鍋の中から母がお玉でキャベツ巻きを崩れないようにそっと持ち上げ、「お皿を出して」と指示をする。私はお皿を前に差し出し、そこにキャベツ巻きが1つ、あるいは2つ盛られるのを待つ。母はキャベツ巻きに続き、今度はお玉を使って澄んだスープをすくい、キャベツ巻きの上にかける。私はその皿を両手で抱え持ち、こぼれないよう気をつけながら食卓へ運ぶ。父の分、兄の分、そして私の分と母の分。台所と食卓を4往復したのち、ようやく家族全員が食卓に揃ったら、というか、その時点で父はすでに食べ始めていたように思うが、とりあえず、
 「いただきまーす」
 私はまず、手を使ってキャベツ巻きの端っこに刺された爪楊枝を取り除く。この「爪楊枝を取り除く」という作業自体が、どうも好ましくなかった。なぜか。当時、私はちょっとばかり先端恐怖症の気があった。尖ったものを見ると恐怖を覚えるのである。熱にうかされて見る夢はいつも決まって、剣山の上を歩いているところだった。ひどいときは、鬼に追いかけられ、剣山でできたベルトコンベアーの上を必死に逃げる夢である。逃げても逃げても鬼が追ってくる。怖くて痛くて、泣き叫び、そしてまもなく自分の泣き声に驚いて目を覚ました。
 先の尖った細い爪楊枝を見ると、その夢の恐怖が蘇る。さらに抜き取った爪楊枝の処分に困り、でも皿の端に置いておくのも心地悪い。かといって尖った爪楊枝をゴミ箱に捨てたら、誰かが怪我をしそうで心配だ。困った爪楊枝なのである。キャベツ巻きが嫌いな理由がすべて爪楊枝にあるとは言い切れないけれど、ささやかな要因であったことにはちがいない。
 捨てる場所はさておき、とにかく爪楊枝を無事に抜いたあと、はて、どういう手順で私はキャベツ巻きを食べていただろう。箸で持ち上げてかぶりつくには危険が伴う。熱々のスープがキャベツ巻きの中に染み込んでいて、口に入れた途端に火傷をしそうだし、切り取るにはキャベツの威力が強すぎる。ナイフとフォークを使って切り取ればよかったのだろうけれど、あの時代、家庭で子供がナイフとフォークを自在に使うような環境ではなかった。スプーンでちぎっていただろうか。いやいや、おそらく幼かった私は、せっかく巻かれたキャベツを、風呂敷に包まれた進物をほどくがごとく、丁寧に順序よくはがしていき、中にあるひき肉団子を箸でつまんで口に運ぶという方法で食していたような覚えがある。
 これがそもそものまちがいだったかもしれない。せっかく合体していたはずのキャベツとひき肉を別々に口へ入れるのと、キャベツと肉の味を同時に口内にて味わうのとでは、印象に大いなる差が生まれて当然だ。キャベツ巻きの、キャベツ巻きたる所以は、ひき肉団子と一緒にキャベツを頬張るところにある。
 でも、解体してしまったのだからしかたあるまい。キャベツの衣を剥がして現れるのはもちろん、白っぽく茹で上がったひき肉のかたまり。その間に玉ねぎのみじん切りが混ざっていた。さらに、ときどきパンが見え隠れしていた記憶がある。肉汁とスープをじゅうぶんに吸い込んだ、もはやパンと呼ぶにはほど遠いほどに、ぼよんぼよんにふやけた食パンの小片が肉団子に混ぜ込まれていた。おそらく母は、団子のつなぎのためにこのパンのかけらを加えたのだろう。そのパンが、なんというか、ご飯に合わないもう1つの理由だった気がする。パンと一緒にご飯は食べない。主食と主食である。それはないでしょう、と子供心にも思った。
 話は逸れるがそもそも私は、焼きそばパンとか、スパゲティパンとかを、積極的に食べたいと思ったことがない。それは主食と主食を同時に食べることになるからだ。それはないでしょう。でも、お弁当にときどき入っているケチャップで真っ赤に染まったスパゲティと冷え切った白いご飯を同時に口の中に入れるのは厭わない。あれはなんとなく、おいしい。はたまた、きつねうどんの隣に小さなおにぎりがあるのも嫌いではない。でもラーメンと一緒に炒飯は食べないかな。どう違うのか。自分でもわからない。人間は矛盾だらけの動物だ。
 ついでに申し上げれば、私は決してぼよんぼよんにふやけたパンが嫌いなわけではない。現に、ミルクトーストは、子供の頃、風邪を引いたりしたときに母に作ってもらってよく食べた。あ、ミルクトースト、ご存じない?
 食パンをカリカリに焼き、バターをたっぷり塗って、砂糖を振りかけ、その上に熱々に沸かした牛乳をたっぷりかけるもの。バターと砂糖が熱い牛乳によって溶け出し、同時にパンが牛乳を吸い込んで、膨らみ始める。そこでさらに牛乳を足す。するとまたパンが吸い取る。牛乳を足す。パンが吸い取る。いったいいつまで牛乳を吸い込むつもりなのか。その様子を見届けるのも楽しいミルクトーストなのである。たっぷり牛乳を吸い込んだミルクトーストを大きなスプーンでちぎって食べると、バターと砂糖の味が口の中に広がって、「ああ、風邪が治りそう」と思ったものである。あのぼよんぼよんにふやけたパンはまちがいなくおいしかった。でもキャベツ巻きに入っているふやけたパンにはかすかに抵抗を覚える。どう違うのか? ミルクトーストは甘く、ご飯と一緒には食べない。
 そういえば母は、ハンバーグにもパンのかけらをつなぎとして使っていたはずだが、ハンバーグのときは気にならなかった。はたまた、チキンカツやコロッケはパン粉で覆われているけれど、あれはご飯によく合います。パンとご飯なのにね。
 こうなってくると、どうして私はキャベツ巻きが好きでなかったのか、さらに追究したくなってきた。もしや根源はキャベツにありや? でも、キャベツ自体を決して嫌いではない。生の千切りは、ことにトンカツに添えられていると、いくらでもおかわりをしたくなる。炒めたキャベツを食べるたび、甘くてシャキシャキしていて、なんとおいしいのだろうと感動する。ひょっとして煮たキャベツが好きではないのか。いや、そんなことはない。シチューなどに添えられている(私は添えますが)、茹でたキャベツは魅力的だ。茹でたキャベツとジャガイモとニンジンのグラッセ。シチューのそばに、このトリオが揃っているとホッとする。
 再び團十郎夫人の『成田屋の食卓』を繙(ひもと)く。写真が載っているだけでなく、本文にもロールキャベツのことが触れられている。
――うちのロールキャベツは牛ひき肉です。(世界文化社刊『成田屋の食卓』より)
 はて、阿川家のキャベツ巻きは何の肉だっただろうか。母に訊いてみたいが、すでになんでも1分後には忘れる90歳の老婆となり果てた。ためしに「覚えてる?」と電話で問い合わせてみたところ、「覚えてない」と素気ない。そのとき救世主を発見した。ここ数年、母の世話をお願いしているまみちゃん(若い頃にウチに住み込んで家事全般の手伝いをしてくれていた婦人)に聞いてみる手がある。案の定、まみちゃんは、「ああ、キャベツ巻きね、奥様(母)から教わってよく作りました」。そして、
 「一度、合い挽き肉で作ったら、ダンナ様(父のこと)に『牛肉にしてくれ』と言われた覚えがあります」
 ということで、我が家も牛ひき肉を使っていたことが判明。さて『成田屋の食卓』に戻る。
――セロリとたまねぎ、にんじんをバターで炒めて冷ましたものを牛ひき肉に混ぜます。ビーフブイヨン、鶏ガラスープの素、塩、こしょう、トマトケチャップで味付けをしたものを茹でたキャベツの葉っぱでくるんで、鍋でことこと煮込みます。(同上)
 團十郎家ではつなぎのパンは入れないらしい。そのかわりにセロリ。なんだかお洒落。さらに味付けにトマトケチャップを使うとある。
 阿川家のキャベツ巻きには、スープにトマトが入っていたと記憶する。家によって少しずつ違うものだ。そして團十郎夫人はロールキャベツについて最後にこう締めくくっておられる。
――キャベツの葉っぱを留めるために爪楊枝を何本も刺したりしたら不格好になるでしょう。爪楊枝を使わずに、きちんと巻いて、隙間がないように鍋に並べれば、いい形のロールキャベツができます。そこがいちばん大事なところだと私は思います。(同上)
 私はもう一度、ロールキャベツの写真が載っているページをめくる。たしかに爪楊枝の気配がない。さらに、ロールキャベツの皿の傍らには、ケチャップの入った小鉢が添えられている。キャベツ巻きにケチャップをかけて食べるというしつらえか。私はまみちゃんに質問してみた。
 「ウチのキャベツ巻きって、ソースとかケチャップとか、かけてたっけ?」
 「いえ、ソースなんかはかけませんでしたけど、ダンナ様が『最後の仕上げにサワークリームをスープに落とすと旨くなるんだよ』っておっしゃって、私、急いでサワークリームを買いに行った思い出があります」
 キャベツ巻きに関心が薄かったせいか、私にはウチでそんなふうにキャベツ巻きを食べていたという記憶がまったくない。
 もはや母に確かめることが叶わなくなった今、阿川家の食卓について知ろうとすると、まみちゃんに聞くのがいちばんだ。まみちゃんが元気なうちに、他の料理の作り方やエピソードも取材しておかなくてはなるまい。そんなことを思ううち、無性にキャベツ巻きが食べたくなってきた。今ならおいしいと思えるような気がする。ただし、爪楊枝問題は成田屋に倣うこととしよう。

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執筆者プロフィール
阿川佐和子 1953年東京生まれ。報道番組のキャスターを務めた後に渡米。帰国後、エッセイスト、小説家として活躍。『ああ言えばこう食う』(集英社、檀ふみとの共著)で講談社エッセイ賞、『ウメ子』(小学館)で坪田譲治文学賞、『婚約のあとで』(新潮社)で島清恋愛文学賞を受賞。他に『うからはらから』(新潮社)、『正義のセ』(KADOKAWA)、『聞く力』(文藝春秋)など。
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