やっぱり残るは食欲
やっぱり残るは食欲 (18)

ワクワク病人食

執筆者:阿川佐和子 2019年4月28日
エリア: 日本
「母はしかたなく弟を使者としてお粥を届けてくれたのだ」

 

 周囲はインフルエンザ患者に溢れている。仕事先で、「〇〇さんがインフルエンザに罹ったので担当を変えます」と伝えられ、食事の約束をすれば、「〇〇さん、インフルエンザで今日は来られないって」と欠席報告。誰かがどこかで毎日、熱を出している勢いである。
 この分では、遅かれ早かれ自分もウイルスを拾うことになるだろう。心のどこかで恐怖を感じながらも、入念なる対処をしているわけではない。罹ったら罹ったときのこと。そのとき考えよう。ただ問題は、チラリと感じるこの喉の痛さ、咳の出方がはたしてインフルエンザなのか普通の風邪なのか、あるいは気のせいか。その区別がつきにくいところにある。どうやらインフルエンザの検査にはタイミングというものがあるらしい。罹りかけの段階で検査をして陽性反応が出なくても、その後、症状が悪化して再検査をしたところ、「まちがいなくインフルエンザです」と宣告される場合があるそうだ。しかも今年のインフルエンザは高熱が出るとはかぎらないというからますますわかりにくい。
 今、我が家で秘書のアヤヤ嬢がときおり「コンコン」と不穏な咳をする。私はたちまち振り向いて、「もしかして、インフルエンザ?」と訊ねると、「いえ、ただの空咳です」ときっぱり。まもなく何かの拍子に咳が止まらなくなった私に向かい、アヤヤすかさず、「大丈夫ですか? インフルエンザ?」と問うてくる。
 「違うの、なんかが喉に詰まっただけ」
 するとしばらくのち、何やら咳き込んでいるウチのオットー君の声が聞こえてくる。たちまち私とアヤヤ嬢、声を揃えて恐る恐る、
 「もしかして?」
 「いや、今、お酢にむせたの」
 1人ラーメン鉢を抱えながら答える。
 ことほど左様にこの季節、誰もが猜疑心に満ちている。人を疑い、自らの潔白を弁明する日々だ。でも我が家ではまだこれぐらいの遠慮がちな疑い合いで済んでいるからいいけれど、ここに父がいたら大変な騒ぎとなっただろう。
 父は極端な風邪嫌いだった。特に50代も半ばを過ぎたあたりからは、本人曰く、「俺が風邪に罹ったら、1カ月は確実に治らない!」と自信たっぷりに宣言していた。だから家族にちょっとでも風邪気味の気配が窺われるや、まず、「風邪か?」とその者を睨みつけ、すかさず自らの口を片手で覆い、くぐもった声でいとも迷惑そうに、
 「とにかく近づかないでくれ!」
 そう叫ぶや、
 「シッシッ!」
 まるで庭に迷い込んだ野良猫を追い払うがごとき敵意に満ちた顔(父は風邪と同じく猫が嫌いだった)で、あるいは毒ガスを撒かれた被害者のような切迫した形相となり、口を塞いでいないもう一方の手を前後に激しく振って、追い払うのである、可哀想な風邪気味の私を。
 あまりの冷酷ぶりに驚いて、
 「そんなに憎々しげな顔をしなくても」
 小声で訴えると、父は必ずこう答えたものだ。
 「お前が憎いんじゃない。お前についている風邪が憎いんだ。いいからさっさとどっかへ行ってくれ」
 風邪菌ともども、哀れな私は大急ぎで居間を出て、寒い階段を上り、そののち完全に回復するまで、2階の自室監禁を余儀なくされるはめとなる。まるでラプンツェルだ。でも、いくら泣いてもどんなに高熱を発しても、王子様は現れない。現れるのは、幼い弟だけだった。
 「大丈夫? お粥持ってきたよ」
 弟の心配そうな顔に、どれほど安堵したことか。家族全員に見放されたと思った独房で、唯一の面会者を得た心境だ。母はまちがいなく父に止められている。サワコの部屋には行くな。お前に風邪が移ったら俺が困る。母はしかたなく弟を使者としてお粥を届けてくれたのだ。
 白いお粥と梅干し1つ。おかずは甘く味つけされた炒りたまご。その極めて質素でシンプルな病人食が五臓六腑にしみわたる。おお、神よ。汝は我を見放さなかったのね。
 私が幼い頃は、父も若かったからか、さほど風邪に神経質ではなかったような気がする。家が狭かったせいもある。熱を出して寝るのはいつも、台所の隣の和室だった。そこに布団を敷き、病人である子供は寝かせられた。
 あの頃、なんの病気で寝込んでいたんでしょうね。おたふく風邪とか水ぼうそうとか……。とにかく熱を出すと子供はだいたい高熱を発した。当時は保冷剤とか「熱さまシート」なんぞはなかったので、必ず小豆色のゴム製氷枕をつくってもらい、それを頭の下に置き、熱を冷ました。ゴムの強烈な臭いと頭を動かすたびにゴロゴロ移動する氷の音と感触に、「ああ、自分は病人だ」としみじみ自覚したものである。
 熱が出て苦しいことをさておけば、病人には特権が与えられ、それが秘かな楽しみでもあった。母が優しくしてくれる(当時はね)以外にも、果物の缶詰が食べられた。なぜ熱を出すと果物の缶詰を食べていいという許可が下りるのか。わからないけれど、ミカンの缶詰と桃の缶詰は、寝床で横になりながら食べた記憶が圧倒的に多い。たまに缶詰のパイナップルの輪切りが出てくると、心の中で「そんなにおいしくない」と思った。パイナップルという果物はあまり好きではないと決めたのは病に伏せていたときではなかったか。ところが高校生になり、生のパイナップルを初めて口にしたとき、「おお、パイナップルってこんなにおいしかったのか」と驚いた覚えがある。私の子供の頃、生のパイナップルは売られていなかったから、缶詰の味しか知らなかったのだ。
 その伝でいくと、アスパラもしかり。子供の頃、アスパラとは白いフニャリとしたものであり、マヨネーズをかけて食べる方法しか知らなかった。まもなく緑色の生のアスパラが登場し、さらにホワイトアスパラが八百屋の店頭に並ぶようになったときは、驚きましたねえ。フニャリとしていないではないか。
 病人食に話を戻す。もう1つ、病人の特権は、出前のうどんを取ってもらえることだった。ただし、素うどんである。うどんだけ。かまぼこも玉子もお揚げも乗っていない。濃い汁と、うどんだけ。
 それでも嬉しかった。おいしく感じられた。素うどんは病人にとってご褒美だったのだ。
 今、素うどんというメニューはうどん屋にあるのでしょうか。というか、素うどんならウチで作るほうが早くて安上がりなのではないかと思うのに、なんで母は素うどんごときをわざわざうどん屋さんに出前してもらっていたのだろう。料理が苦手だったわけではない母が、素うどんを作る自信はなかったのか。不思議だ。今、気がついたけれど。
 でも子供にとっては「出前を取ってもらえる」だけで特別感があったし、贅沢な気分になったものである。病人といたしましては、それだけで元気になった。
 少し熱が下がり、食欲が湧いてきた頃に母がもっぱら作ってくれたのは、ミルクトーストだ。
 ミルクトーストとは文字通り、ミルクと合わせたトーストのこと。作り方は、まず食パンをトーストする。同時にミルクを火にかけて温めておく。トーストが焼けたらやや深みのある皿(スープ皿が適当)に移し、そこへバターをたっぷり。塗るというより固まりをパンの真ん中に置く。上から砂糖をサラサラ、サラサラ。そこへ熱々のミルクを少しずつ注ぐ。パリパリだったトーストはたちまち熱いミルクを吸い込んで、出汁をたっぷり吸い込んだ高野豆腐のように膨らんでいく。固まっていたバターはあれよあれよと思う間にミルクに溶かされ、黄色い液と化す。そして、スープ皿のまわりに溜まっていたはずのミルクは、あれあれ、どこへ行ったの? あんなにたくさん注いだのに、と驚くほど、トーストが吸い込んでしまう。そうしたら、再びミルクを足す。それでもミルクはたちまちトーストの館へ隠れてしまう。いったいどれほどの許容量があるのだろう。この「ミルクが消えるマジック」は見ているだけで楽しいぞ。
 正直なところ、私は子供の頃、牛乳がさほど好きではなかった。兄や弟たちのように水代わりに飲む趣味はなかった。が、ミルクトーストのときの、バターと砂糖がたっぷり溶けた熱々の牛乳は、別物に感じられた。ことに高熱によって疲弊した胃袋にはどれほどしみわたることか。病み上がりに食べるミルクトーストは、また格別のごちそうだったことを思い出す。
 しかし大人になり、独り暮らしを始めた頃から、いやそれより以前、父に追い払われていた20代のあたりから、私の前には母の作ったミルクトーストも素うどんもミカンの缶詰も現れたためしがない。しかたあるまい。ことに独り暮らし以降は、たとえ熱が高かろうと、自分で栄養補給をするほか手立てはなくなった。はて、何を作ってしのいできたか。
 そう考えると、スープですかね。
 もちろん、不調ゆえに食欲も気力もまったく湧かないときは、ひたすら寝る。水分補給だけは怠らず、寝て寝て、寝飽きるまで寝るのみだ。そしてようやく「お腹が空いた」と空っぽの胃袋をさするほどに回復したら、思いつくのは「よし、スープを作ろう」である。
 昔、テレビで見ていた洋画番組のウエスタンで、病人や怪我人は、運び込まれた家のベッドでたいていスープを勧められていた。
 「まだ起きちゃだめだ。傷は深いぞ。しばらくここで養生しろ。ほら、ウチの娘が作ったスープだ。飲んで元気を出せ」
 病人にはスープと思い込んだのは、あのシーンのせいかもしれない。だからといってまだ元気溌剌の状態ではない。買い物に出かけるほどの気力には欠ける。まずはとりあえず冷蔵庫を開き、しなびかけた野菜を取り出す。玉ねぎ、カブ、大根、セロリに人参、ジャガイモと椎茸。なんでもいい。あるもので済ませる。そうだ、ベーコンが残っていたはずだ。これを出汁代わりにしよう。野菜とベーコンをざく切りにして、ニンニクも少しみじん切り。深鍋を火にかけ、オリーブオイルをタラタラタラ。ニンニクを入れ、続いてベーコン、ざく切り野菜の順にドバドバドバ。木べらでかき混ぜながら炒めるうち、いい香りが漂い出す。そこへ水をジャーッと差し、煮立つまでしばらく待つ。待つ間、再び冷蔵庫を覗くと、おお、トマトも入れようか。生姜があったぞ。ベーコンだけでは肉気が足りないから、ソーセージを細かく切って入れてみるか。追加の具材を入れながら、塩と胡椒で味を見て、うーん、なかなかおいしくなってきた。これをバタートーストに浸して食べたらいいかもしれない。いや、冷凍にしていたご飯をチンしてスープかけご飯にしようかしら。気分は脱病人だ。もはや病人食ではなくなりかけている。
 インフルエンザに罹る前にスープの用意をしておこう。せっかくだから鶏ガラで本格的に出汁を取り、白インゲンも水に戻しておけば、豆スープができる。あとは適当な野菜を買っておかねば。そうだ、久々にミルクトーストも作ってみるか。なんだか寝込むのが楽しみになってきた。

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執筆者プロフィール
阿川佐和子 1953年東京生まれ。報道番組のキャスターを務めた後に渡米。帰国後、エッセイスト、小説家として活躍。『ああ言えばこう食う』(集英社、檀ふみとの共著)で講談社エッセイ賞、『ウメ子』(小学館)で坪田譲治文学賞、『婚約のあとで』(新潮社)で島清恋愛文学賞を受賞。他に『うからはらから』(新潮社)、『正義のセ』(KADOKAWA)、『聞く力』(文藝春秋)など。
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