やっぱり残るは食欲
やっぱり残るは食欲 (22)

トマト王子のトマト

執筆者:阿川佐和子 2019年8月11日
タグ: イタリア 日本
エリア: ヨーロッパ アジア
「冷蔵庫には小さなフルーツトマトと普通のトマトがゴロゴロ並ぶ」

 

 幼馴染みのケイちゃんから立派なトマトが届いた。直径9センチほどの真っ赤なトマトが段ボール箱にびっしり12個!  壮観とはこのことか。さっそくお礼のメールを送ったところ、
「ちょっと昔の香りがするでしょ。ダンナの従兄弟が農大で卒論はトマト。トマト王子と呼ばれています。ご堪能あれ」
 という返信。感動した。小泉元総理ふうに腹の底から「感動した!」。どれほど緻密な研究の末に生まれたトマトであることかと、想像するだけで、ますますおいしそうに見えてくる。
 さっそくその夜、とりあえずは八つ切りにして、ただ塩を振って食べてみただけなのに、またもや小泉元総理。口に含むとどこからか緑と土の匂いを含んだ風が吹いてくるような、セミの鳴き声や小川のせせらぎの音色が聞こえてくるような、なんともいえず懐かしい味わいがする。これはまことにトマトマジックだ。
 実のところ、普段私は大きなトマトをあまり好まない。自分が小さいせいかもしれないが、大きい食べものは概して大味だという先入観がある。ことにトマトに関して、あるとき決心したのである。たしか『聞く力』が思いの外、売れたときだった。両親の介護が本格的に始まった頃でもある。忙殺されてムシャクシャした気持を晴らすためにも、
 「よし、贅沢をしよう!」
 そう決めた。決めたところで元来がケチな私はそうそう買い物に走ることができない。豪華な食事で贅沢三昧というのもすぐに胃と心が疲れる。夜の銀座を豪遊するほど酒に強くもない。そして思いついた。
 「今後、トマトだけは高いのを買うぞ!」
 ときどき訪ねるイタリアンレストランで、肉料理の横に添えられた小さなトマトがこよなくおいしかったせいもある。おいしいトマトを食べただけで、これほど豊かな気持になるのなら、普段買うトマトに投資をしても、決して無駄使いとは言えまい。
 以来、スーパーへ買い物に行き、野菜の陳列ケースに目をやって、大きい、中くらい、小さいと、さまざまな種類と産地のトマトが並ぶ中、しばし迷って吟味して、そしていかにもハイソな雰囲気で置かれているフルーツトマトの箱(10個入りぐらい)を、勇気を振り絞って1つ取り上げ、意気揚々とレジへ向かう。
 「うわ、アガワさん、こんな高いトマト、買ってきたんですか」
 我が秘書アヤヤが冷蔵庫を覗いて目を丸くした。
 「1箱1960円? キャー、私にはとうてい手が伸びません」
 むふふふ。そうかいそうかい。でも私は決めたんだもんね。トマトには金をかけるのだ。この甘~いトマトを食べる幸せだけが、私の病んだ心を救い、忙中のオアシスとなり、上機嫌の元と化すのである。だから許せ!
 しかし困ることもある。元来がケチな私だからして、ときにカレーやシチューなど煮込み料理を作ろうかと思うと、手元には高価なフルーツトマトしかない。これを投入するのはいかんせんもったいないだろう。そこで、高価トマトが残っているにもかかわらず、また買い物に出かけ、普通の安いトマトを買い求める。こうして冷蔵庫には小さなフルーツトマトと普通のトマトがゴロゴロ並ぶ。野菜室を開けるたび、今日はどちらのトマトを使おうか、いやいやフルーツトマトはもったいない。そんな吝嗇の惑いが数日続いた挙げ句、ときどきフルーツトマトをブヨブヨにさせてしまうこともある。もったいないが度を超すと、もっと、もったいないはめとなり果てる。
 それでもなお、おいしいトマトは小さいに限ると信じていた。そこへ現れたトマト王子のトマトである。でかいトマトに私は謝りましたね。ごめんね、大きいのはまずいにちがいないと思い込んでいたけれど、あなたはなんて美味なのでしょう。深く反省いたします。
 もっともこの巨大トマトがどれぐらいのお値段なのか、到来物ゆえわからないが、今度、ケイちゃんにこっそり聞いてみることにいたします。案外、フルーツトマトより高かったりしてね。
 ずっと昔、テレビ番組の企画でトマトを巡る旅をした。イタリアのトマト畑を訪れて細長いイタリアントマトをもいで囓ってみたり、トマト学者を訪ねていって、イタリアにはいつ頃トマトが到来したのかを解説していただいたり……。これが驚いた。
 そもそも15世紀から17世紀にかけての大航海時代にて、コロンブスを始めとするヨーロッパ人が、新大陸で見つけた珍しい植物や種を収集した折、南米ペルーからトマトの苗木を持ち帰ったのが、トマト伝来の始まりと伝えられている。しかしペルー産のトマトはそれこそミニトマトのように小さく、しかも現地の人間に聞いたところ、毒性が高いという噂だ。そこで、ヨーロッパ各地に広がったトマトの苗木は当初、観賞用として部屋に飾られるだけだった。
 ところが、さすが食に貪欲なイタリア人である。この赤い実をなんとか食べる手立てはないものか。そう思った食いしん坊イタリア人がいたのでしょうな。
 ちなみにトマトがイタリアに渡る以前、古代ローマ時代より、イタリア人にとってソースといえば魚醤(ぎょしょう)のたぐいしかなかったらしい。各家の横には素焼きの壺が置かれ、その中に魚とハーブを交互に重ね、発酵させてつくったソースを肉や魚にかけて食べていた。そんなイタリア人のもとに、煮詰めてみるとソース状になるじゃん、すごーい、というトマトが出現したのである。さぞや興奮したことだろう。トマトを煮て、味をつけ、ためしにローストした豚に、あるいは塩焼きした魚にそっとかけてみる。うん、うまいぞ!
 かくしてトマトはたちまちイタリアを席巻した。そしてイタリアから魚醤は消滅した。それもちょいと残念なことのように思われるけれど、とにかく我々にとってトマトなしにイタリア料理を語ることはできない。もしあのとき(って、どのときか知らないが)、無類な好奇心と食欲を持ち合わせた1人のイタリア人が、観賞用のトマトの実をこっそりちぎってフライパンに入れ、グジュグジュと汁を出し始めたトマトを口に入れなかったら、イタリア料理ははたしてどうなっていたのかと思うと、寂しい気持になる。
 まあ、トマトに限らず、たとえばドリアンとか臭いチーズとか、ナマコとか牛タンとか、「いったい人類で初めてこんな恐ろしいものを食べた人はどういう人だったんだろうねえ。よほど勇気があったか、あるいは腹ぺこだったのかしら」と、いつも感心感謝しつつ、口を動かすのであった。
 さてトマト。最近、仲良くしている漫画家のヤマザキマリさんは、17歳のときに絵の勉強をするためイタリアへ渡り、その後35年の長きにわたり、基本的にイタリア在住の方である。そのマリちゃんが、なんたることか、トマトが苦手なのだという。最近出された『パスタぎらい』(新潮新書)という著書にそのことが書かれている。
 「私は酸っぱい果物が食べられない。(中略)果物ではないが、実は生のトマトも酸味が強いとなかなか積極的に食べられない。/言わずもがなだが、イタリア料理にトマトは欠かせない。そんなイタリアに暮らし始めてから三十年以上も経つのに、トマトが苦手だと言うと、『イタリアにいるのに、そんなのアリなの!?』と驚かれることもしょっちゅうだが、物心がついた時から果物を食べられないのだから仕方がない」
 そんなのアリ? 私もついツッコミたくなる。それはしかし、さぞ生きづらいことだろう。日本人なのに醤油が嫌い、と言っているようなものだ。酸味の強い生のトマトが食べられないのであって、煮込んでしまえば大丈夫なのかもしれないが、少なくとも「トマト、大好き!」ではなさそうだ。目の前にトマトソースたっぷりのおいしいマルゲリータピザが出てきたら、どうするのであろう。私の大好きなペンネアラビアータなんて、注文することはないのか。醤油であればかけなければすむが、トマトソースは他の具材にべったりと混ざっている。付け合わせのトマトを残すことはできても、トマトソースを避けて料理を平らげることは不可能だ。
 だいたい私はトマトが酸っぱいと思ったことはない。そもそも酸っぱいものが好きだから、トマトの酸味は「酸っぱい」に入らない。そんなトマトを「酸っぱい」と感じ、食べられないのは実に気の毒だ。ウチに届いた立派なトマト王子のトマトをマリちゃんに差し上げなくてよかった。先日、会う機会があったとき、ウチにトマトが大量に届いた直後だったので、よほど分けて差し上げようかと思ったが、荷物が多くて断念した。差し上げていたら、きっと苦笑いをしただろう。
 他にも、トマトの嫌いなオトコを知っている。イタリア在住でもイタリア人でもないが、それでも私は「気の毒に」と思い、どうして嫌いなのかと訊ねたら、
 「小さい頃、赤いものはぜんぶ甘いと思ってたんだ。だからトマトを初めて見たときに、甘いだろうと思ってかじりついたら、ぜんぜん甘くなくて。そのときのショックが大きすぎて、いまだに食べられない」
 その話を聞いてすでに40年近く経つが、今でも彼は嫌いだろうか。気の毒だ。
 私の得意な料理の1つに、トマトスパゲッティがある。極めてシンプル、簡単。だいたい私の作る料理に凝ったものはほとんどないが、これほど「トマト!」が主役のスパゲッティはないと思う。
 材料は、熟したトマト、ニンニクのみじん切り、オリーブオイル、塩胡椒、スパゲッティ。以上。
 分量なんて聞かないで。作り方も聞かないで。説明するまでもない。が、念のため記すと、まずフライパンにオリーブオイルを垂らし、そこへニンニクのみじん切りをたっぷり入れて香りが出てきたら、前もってざく切りにしておいたトマトをドバッと入れる。塩胡椒で味つけし、しばらく煮込み、茹でておいたスパゲッティにかけて召し上がれ。ほらね、書くほどのレシピではないでしょう。
 あまりにも単純なので、一度、ここへ玉ねぎのみじん切りを加えてみたが、邪魔だった。トマトとニンニク。それだけがいい。辛くしたければ鷹の爪やタバスコを加えてください。
 トマト王子のトマトがあと残り2玉になった。そうだ、このトマトで明日、シンプルトマトスパゲッティを作ることにしよう。これをフルーツトマトで作ることはない。酸味のあるトマトのほうが合う。マリちゃんにはごちそうしないから、安心してください。

カテゴリ: 社会 カルチャー
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執筆者プロフィール
阿川佐和子 1953年東京生まれ。報道番組のキャスターを務めた後に渡米。帰国後、エッセイスト、小説家として活躍。『ああ言えばこう食う』(集英社、檀ふみとの共著)で講談社エッセイ賞、『ウメ子』(小学館)で坪田譲治文学賞、『婚約のあとで』(新潮社)で島清恋愛文学賞を受賞。他に『うからはらから』(新潮社)、『正義のセ』(KADOKAWA)、『聞く力』(文藝春秋)など。
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