「遅くても2022年までに」実用化秒読みに入ったデジタル人民元

アメリカ慎重、EUは前のめり。「中央銀行デジタル通貨」の国際標準争いも

執筆者:中島真志 2021年3月5日
タグ: 中国 マネー
エリア: アジア
新華網が報じたカード式デバイス(新華網「数字人民币来了,这种钱怎么花?」より)

 

 中国では「デジタル人民元」の実用化に向けたパイロット実験が一段と本格化してきており、日ごとに実現に近づいているようだ。

 デジタル人民元は、中国人民銀行が発行を目指している「中央銀行デジタル通貨」(CBDC:Central Bank Digital Currency)だ。CBDCとは、中央銀行が発行し、デジタル形態をとる法定デジタル通貨である。簡単に言えば、現金(銀行券)をデジタル化したものと言える。人々は、スマートフォンに専用アプリを入れ、電子ウォレットで残高を管理し、個人間の送金や店舗での支払いに充てることになる。

 この2月には、深圳と北京において、デジタル人民元を多数の国民に無料で配布し、実際に店舗などで使わせてみるという大規模なパイロット実験が行われた。

 深圳では、10万人に対して1人200元(約3000円)が配布され、配布の総額は2000万元(約3億円)にのぼる。一方、北京でも、5万人に200元ずつが配布され、総額1000万元(約1億5000万円)が配布された。

 デジタル人民元の配布は、40~50倍ともされる高倍率の抽選によって行われ、中国のお年玉にあたる「紅包」という名目で配られた。人々はスマートフォンに専用アプリをダウンロードして電子ウォレットを設定し、200元のデジタル人民元を受け取った。

 深圳では、「e-CNY」(デジタル人民元)のマークが表示されている1万店以上の店舗での利用が可能との触れ込みで、その内訳は、飲食店、各種小売店、スーパー、百貨店、交通機関、フィットネス、医療機関など、かなり多岐にわたっている。

 店舗での決済は、日本の電子マネーのような「タッチ決済」または店頭に呈示されたQRコードを読み込んで行う「QRコード決済」によって行われた。

カード式デバイスとATMも登場

 実験では、デジタル人民元の利用媒体として、スマートフォンのほかにカード式のデバイスも登場した。

 このカードは、金額表示機能が付いたリライトカード(書き換え可能なカード)となっており、支払額、残額などが表示される。日本の「Suica」などカード式の電子マネーのように利用することができ、しかも、カードに金額が表示される分だけ「Suica」などよりも利便性が高いと言えるだろう。

 さらに、このカードには「指紋認証付き」の高度バージョンも用意されており、本人以外には利用ができない仕組みにしてセキュリティを高めている。

 こうした新しいデバイスを次々と生み出す中国の技術力には驚くばかりだ。

 カード式のデバイスを導入したのは、スマートフォンを保有していない層や、スマホの操作に不慣れな年配者などに配慮したためと見られ、国民の幅広い層に使ってもらうためには必要な施策となる。

 日本銀行でも、CBDCに必要な条件の1つとして「子供から高齢層まで幅広い世代が利用できること」という「ユニバーサル・アクセス」を挙げているので、こうしたカード媒体は日本での「デジタル円」(仮称)の導入にあたっても参考となる事例であると言えよう。

 デジタル人民元は、中央銀行が銀行などの金融機関に対して発行し、金融機関が個人や企業などのエンドユーザーに配布する間接発行型だが、北京の実験では、現金をデジタル人民元に換えることのできる「ATM」(現金自動預け払い機)も登場した。

 これは「デジタル取引」と呼ばれ、ATMを使って現金をデジタル人民元に換えたり、その反対にデジタル人民元を現金に換えたりすることができる。

 これがあれば、人々は銀行の窓口に行かなくても、手軽に現金をデジタル人民元に交換することができる。

北京冬季オリンピックでのお披露目

 こうした大規模なデジタル人民元の配布実験は、昨年10月から深圳、蘇州、北京の3都市で合計5回にわたって行われており、延べ40万人に対して総額約12億円以上ものデジタル人民元が配られた。潤沢な資金を投入する「太っ腹な」プロジェクトの進め方となっており、それだけ国家的なプロジェクトとして力が入っているということだろう。

 実験内容を見ても、着実に実験の内容や範囲が進歩してきているのが分かる。参加店舗の数や業種を増やしつつ、実店舗からオンライン店舗での決済へ拡大しており、利用媒体もスマホだけでなくカード式デバイスが登場し、そしてATMも導入された。

 一方、中国では、デジタル人民元の法的根拠を明確にするため、人民元を「実物とデジタルの形式が含まれる」と明記する方向で法律の改正を進めている。技術面だけではなく、実現に向けた法律面の手当てにもぬかりはない。

 中国人民銀行の高官は、

「遅くても2022年2月に開催される北京の冬季オリンピックまでには使えるようにする」

 と明言しており、世界から多くの人が集まる国際的なイベントをデジタル人民元のお披露目の場とすることを目論んでいるようだ。オリンピックという国家プロジェクトに関する公約であるだけに、何としても実現させるだろう。

 このように、中国は、デジタル人民元の導入に向けて、着々と準備を進めており、実用化は確実に視野に入ってきている。導入はもはや「秒読み段階」だと言ってもよいだろう。

 実は、CBDCとしては、バハマの「サンドダラー」とカンボジアの「バコン」が2020年10月に導入され、中国よりも一足先に正式に発行が始まっている。このため、デジタル人民元が正式に発行されれば、この2カ国に次いで世界で3番目のCBDCということになる。

 しかし、14億人を超える人口を擁し、世界第2位の経済大国である中国でCBDCが実用化されれば、その衝撃は先行した2つの小規模国の比ではなく、世界に極めて大きなインパクトを与えることになるだろう。

 すでに、日本や欧米などの主要先進国では、CBDCの分野で中国が先行することについて、国際標準などの面で主導権を握られるのではないかとして警戒感を強めているところだ。

依然として慎重姿勢の米国

CBDCの仕組みや各国の取組みについては『アフタービットコイン2』で詳しく解説している

 こうした中国の積極的な動きに対して、主要国の中でCBDCへの取組みが最も慎重なのが米国である。

 ただし、米国内では、中国が先行していることへの苛立ちもあって、議会などからの圧力が高まっているほか、民間の「デジタルドル財団」が「デジタルドル・プロジェクト」を立ち上げるといった動きもあり、徐々に中銀であるFRB(米連邦準備制度理事会)が追い詰められつつあるという構図となっている。

 CBDCに親和的であるとされる民主党のジョー・バイデン政権が誕生したことも影響する可能性がある。

 FRBのジェローム・パウエル議長は、昨年6月の議会証言で「CBDCを真剣に研究していく」としてやや前向きなトーンに修正していたが、今年2月23日の議会証言では、さらに一歩進んで「CBDCは、FRBとしてプライオリティが高いプロジェクトである」とした。ただし、「早くやることよりも、正しくやることの方が重要だ」と付け加えることも忘れておらず、基本的には、依然として慎重な姿勢を崩していないと見ておいた方が良いだろう。

 世界の基軸通貨として極めて重要な役割を果たしているため、ドルがデジタル化によって直面するリスクも重大であり、慎重になるのも無理はないと言えるかもしれない。

 これとは対照的に、積極姿勢に転じつつあるのが、欧州中央銀行(ECB)だ。

 ECBでは昨年10月に「デジタルユーロ」のレポートを公表した。ECBのクリスティーヌ・ラガルド総裁は、前職のIMF(国際通貨基金)専務理事の時代からCBDCを積極的にサポートする姿勢を示しており、そのスタンスが反映されたものと見られる。

 このレポートの中でECBは、各方面からの意見を聞いたうえで2021年半ばにはデジタルユーロの実証実験を始めるかどうかを決定するとの方針を明らかにしている。一見するときちんと手続きを踏んで慎重に進めているように見える。

 しかし、一方では、デジタルユーロの商標登録を申請するといった動きを見せているほか、ラガルド総裁が「5年以内には実現させたい」といった発言を行っており、「内心はやる気満々」と見ておいた方が良いだろう。

 このほか欧州では、スウェーデンがデジタル通貨「eクローナ」の実験プロジェクトをすでに昨年2月から進めている。スウェーデン国立銀行では、アクセンチュア社と組んだこの実験を、さらに1年延長して実施することを、このほど決めている。

いよいよ日銀も実証実験へ

 こうした海外の動きが、いよいよ日本にも及ぼうとしている。

 日銀では、昨年7月に「デジタル通貨グループ」という専門部署を設けて、本格的な検討を始めており、同10月には「中銀デジタル通貨に関する日本銀行の取り組み方針」を公表した。

 この中で、今後、3段階で実証実験を進めていく考えを明らかにしている。第1段階で、CBDCの基本機能(発行、送金、還収)についての検証を行ったあと、第2段階では、CBDCの周辺機能の検証を行うものとされている。そして、第3段階では、実際に店舗や消費者が参加するパイロット実験が行われる予定である(以下図表)。

 

 第1段階の実証実験は、この春頃から始まるものと見られている。日銀がどのような技術パートナーを選んで実証実験を行っていくかが注目されるところだ。また、実証実験を始めるタイミングに合わせて、財務省、金融庁、日銀や民間金融機関などが参加する「連絡協議会」が設立されることも計画されており、関係者で実験成果の共有が進められる予定だ。

 実際に日銀の実証実験が始まれば、「デジタル円」の実現に向けて第一歩を踏み出すことになり、CBDCに対する関心や機運は一段と高まりを見せることになるだろう。

 ちなみに、中国のデジタル人民元が今年中に導入されれば、2014年の開発開始から7年で本格導入にこぎ着けたことになる。一方、カンボジアのバコンは、検討開始から2020年の正式導入まで約4年で構築されている。

 こうした先行事例から見ると、昨年から検討を開始した日本銀行でも、同程度の期間で「デジタル円」を完成させる可能性があると見ておくべきだろう。

 デジタル円が実現すると、われわれの日常生活における決済が飛躍的に便利になるだけではなく、デジタル円を応用した新たな決済サービスも数多く登場するものと見られ、国民生活やビジネスに大きな影響を及ぼすことになるだろう。

 今後も、CBDCを巡る内外の動きには、しばらく目が離せない状態が続きそうだ。

 

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執筆者プロフィール
中島真志(なかじままさし) 1958年生まれ。麗澤大学経済学部教授、早稲田大学非常勤講師、経済学博士。一橋大学を卒業後、日本銀行に入行。調査統計局、国際局、国際決済銀行(BIS)などを経て現職。決済分野を代表する有識者として、金融庁や全銀ネットの審議会などにも数多く参加している。主要著書として『アフター・ビットコイン』『SWIFTのすべて』『外為決済とCLS銀行』『入門 企業金融論』(以上単著)、『決済システムのすべて』『証券決済システムのすべて』『金融読本』(以上共著)など。最新刊の『アフター・ビットコイン2:仮想通貨 vs. 中央銀行』では、リブラや中銀デジタル通貨について取り上げている。
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