香港で「逃げ恥」新春SPが急遽放映中止に――揺れる「香港メディア」

執筆者:鍛治本正人 2021年4月17日
タグ: 香港
エリア: アジア

 

2019年の香港でのデモの様子(C)Jimmy Siu / Shutterstock.com
昨年7月6月末の国家安全維持法(国安法)成立・施行後、香港の状況は大きく様変わりした。メディアへの影響も大きく、次々とテレビ番組の放映がキャンセルになったり、英字紙記者へのビザ発給が拒否されたりと、先行きが見えない。香港のジャーナリズムはどうなってしまうのか――在香港歴21年のメディア論研究者が現地の様子をお伝えする。

 

相次ぐテレビ番組の放映直前キャンセル

 中国の全国人民代表大会(全人代)で香港の選挙制度の大幅な変更が採択された当日の3月11日、香港の公共放送である『香港電台(RTHK)』の「議事論事(LegCo Review)」という夜8時からの時事評論番組が、放映直前15分前に突然キャンセルされた。

 番組では建制派(親中派)、民主派の元議員、政治学者などをゲストに呼び、発表された選挙制度改正の内容についての討論を流す予定であったが、最近こういったメディアのドタキャン騒動がこちらでは相次いでいる。

 その数日前の3月7日には「香港故事」という社会・文化的なテーマを扱う番組で、現地作家のインタビューをメインにした回の放送が見送られている。報道によると、2019年の香港デモにおける警察の対応を批判するコメントがRTHKの編集指針にそぐわないと局の上層部が判断したようだ。

 この背景には、その1週間前の3月1日に廣播處長(RTHKのトップである放送局長)に就任した李百全氏の存在がある。官僚出身で報道経験の全くない李氏は、後日、詳細には触れないとしながらも、放送のキャンセルを自ら指示したことを認め、編集権の独立は局全体のものであり各番組ごとにあるわけではないと発言し、今後は番組制作の計画を提出させ内容の管理を強化してゆくと立法会(香港議会)で述べた。

 公共放送と呼ばれてはいるが、RTHKは組織的には完全に香港特別行政区政府の一部であり、受信料などを徴収しているわけではなく、全て政府予算で運営されている。それでも1997年の中国返還後からこれまで、報道機関としての中立・独立性を保ち、権力を監視する役割の一端を香港社会では担ってきた。

 記者会見で政府に手厳しい質問をする所属記者も多く、時には民主派寄りとまで言われてきたが、昨年6月末の国安法成立・施行の後、状況は瞬く間に様変わりした。香港デモ以降、政府は林鄭月娥(キャリー・ラム)行政長官を筆頭に、折に触れRTHKを非難していたが、今年2月19日にその報道姿勢、編集方針を批判する報告書を発表、前任者を任期終了半年前に事実上更迭し、前述の李氏を起用することを明らかにしたのである。

 3月29日には「鏗鏘集(香港コネクション)」という人気のドキュメンタリー番組がまた突如キャンセルされた。放送前の宣伝によると、各大学の学生会の現状を特集する内容であり、学生会代表のインタビュー内容が問題視されたようだ。各大学内の選挙で選ばれた学生会の代表の多くは、2014年の雨傘運動に見られるように、民主化運動に積極的に参加している。

 同日、RTHK側は公式声明として上記3番組の放送が直前に中止された理由を発表した。それによると国安法や選挙制度の変更について「一方的で、不正確な」見解が含まれていたとなっている。これらの番組は全て3月1日以前に制作されたもので、上層部の人間で構成される新しく設立された編集委員会の審査で中止が決定されたとある。

 またこの日、通信業界の監査機関である通訊事務管理局はRTHKが昨年放送した番組について視聴者から苦情があり、今後気をつけるよう勧告したと発表した。問題となったのは番組で使われた「台湾の外交関係」という言葉で、これは台湾を国家と見なすような表現であり、中国の主権に対する「侮辱」であるという視聴者の言い分は正当であるという判断を下したとしている。

急速に変化していく香港ジャーナリズム

 国安法施行以降、香港におけるニュースの現場、報道のあり方は急速に変化している。これまで述べてきたように政府機関であるRTHKの例が特に顕著だが、もちろんこれは一放送局の話だけではない。昨年8月、200人の警察官が民主派の新聞として人気のある『蘋果日報(アップル・デーリー)』の本社オフィスを家宅捜索、国安法違反で創業者の黎智英(ジミー・ライ)氏を逮捕した出来事は、こちらではかなりの衝撃を持って迎えられた。

 同社の社員がその顛末をFacebook上でライブ中継した映像はあっという間に拡散され、法律施行後わずか1カ月余りで起きた事件のビデオは、香港における報道の自由、ジャーナリズムのあり方に不安な影を落とす象徴的な事例となった。この日以降、国安法に抵触することを恐れて記者の取材活動が萎縮することが、かなり切実な問題として語られるようになっている。

 その後もジャーナリストの逮捕、英字紙と雇用契約を結んだ香港在住外国籍記者のビザ発給拒否、海外メディアのオフィス移転、景気などの理由による民放テレビ局記者の集団解雇、いくつかの社では編集方針に抗議する辞職などが相次ぎ、先行きのわからない状況だ。

 筆者は21年前に香港でジャーナリストとして働き始め、2010年以降は香港大学ジャーナリズム・メディア研究所で教鞭をとっているが、目の前で起きているこの大変動がどう収束してゆくのか正直予想もつかない。確実に言えるのは、この流れが続くのであれば、これから香港のジャーナリズムはこれまでと全く異なった形になってゆくだろうということだ。

独自のスタンスを取る香港メディアと「自己検閲」

 そもそも、香港のジャーナリズム事情は日本とはかなり違う。国境なき記者団が毎年発表している世界報道自由度ランキングなどの指標を見る限りにおいては、香港も日本も過去20年の間、世界の中で大体20~70位台を行ったり来たりしており、香港の方が自由度が高いと評価された年もあるなど、外からは両者の報道自由度はそれほど変わらないように見える。

 だが内実は共通項よりも相違する部分の方が多い。まず、香港の社会格差は日本の比ではない。最低賃金や、貧富の格差を表すジニ係数を比べるだけでもその差は大きいが、イギリスのNGOであるOxfamの試算では、2016年の時点でこの人口700万の都市における上位10%と下位10%の所得差は44倍近くになっている。

 職業としてジャーナリズムの仕事を、また就職先の選択肢として大手マスコミを考えた場合、日本ではある程度社会的地位もあり、給与もそれなりに良いことから希望者も多いと聞くが、香港ではその逆である。記者として働くことは、長い労働時間に平均以下の給与を覚悟しなければならない。そして、別の職業との給与差は年を追うごとに広がってゆくことは、数字の上からも社会の実感としても明らかだ。

 その影響がどう表れるのかというと、給料や地位ではなく、ジャーナリズムそのものに意義を感じて記者を志す人間が多いという点が挙げられる。また同時に、ジャーナリストを一生の仕事とは考えていない人間も多いし、大体3年から5年くらいで職場を変える人間も少なくない。各社それなりに政治色があり、競争の激しい業界であるのは日本と同じだが、こちらは欧米と同じく記者の連帯感、横の繋がりがとても強い。

 今日の競争相手が明日の同僚になることが珍しくないので必然的にそうなることもあろうが、ジャーナリズムの使命感のようなものを共有している部分もあると、筆者は個人的に思う。風通しの良さ、特に若手の人間はいつでも転社、転職する用意があるという点は、逆に緊張感も生む。報道人として編集方針、あるいは倫理的に納得できないことがあれば、それを公にすることを躊躇わないからである。

 実は香港ではかなり以前からメディアの自己検閲が強化されているという指摘があった。香港記者協会が発行している報道の自由に関する年次レポートなどは、2013年ごろから毎年のように中国政府がどのように圧力をかけ、そしてメディア各社がどのように自主規制をしているのかという事例をいくつも挙げている。

 これまでは特に経済的な圧力が大きかった。商業メディアのオーナーの多くは政治的に親中派で、中国大陸でのビジネスを展開しているだけでなく、全人代、中国人民政治協商会議の代表にも任命されている。また広告主である企業の多くも大陸のマーケットから閉め出されるわけにはいかないので、中国政府に「配慮」のない媒体は敬遠する。テレビ局などは報道が主体ではなく、ドラマや歌番組などのコンテンツ、自社タレントの将来を考えた場合、14億人を超える巨大市場を無視するわけにはいかない。

 ビジネスを考え、香港政府や警察、その先にある中国政府に批判的な報道の内容を編集の段階で削ったり和らげたりすることを自己検閲と呼んでいたわけだが、その多くが広く一般的に知れ渡っているのは、当事者、ジャーナリスト、メディア研究者などが自由にそれを掘り下げてゆくことができたからである。

 例えば中立的として知られる『明報新聞』の記者達は、2019年のデモの際、自社の社説が自分たちの意見を代弁しているわけではないと、それぞれ社説の同意できない部分を指摘し、それをSNSに投稿した。冒頭で述べたRTHKにしても、社員組合の代表は、現在でも記者会見などの公の場で自局の管理職に対して批判を展開している。

 だが、香港ジャーナリズム界の前途は多難だ。国安法では「学校、大学、社会団体、メディア、インターネット」の指導、監督、規制(管理)を強化すると謳っている。香港の憲法である基本法の枠外にあるこの法律には、当然ながら前例もなく、例えば取材相手が「香港独立」など法に触れる発言をした場合、記者は倫理的に苦しい立場に置かれる。報道すれば、取材相手が法に抵触したという証拠を作ることになるだけでなく、自らも幇助の罪に問われる可能性も捨てきれない。

 情報源が外国籍であれば、それだけでテーマによっては国家の安全を脅かしたと言われるかもしれない。新疆ウイグル自治区、内モンゴル、チベット、台湾、といった用語は、特に生放送などで口にする時には、慎重に考えながら話さなければならない。そのような状況の中、萎縮せずにこれまで通りのジャーナリズム活動を続けることは難しい。安全策で、とにかく敏感な問題には一切触れないという風潮が今後何年かの間に生まれてくるかもしれない。

 その兆候と言えるかどうかわからないが、エンターテインメントの世界ではすでにその傾向が見られる。もともと建制派という定評のあるテレビ局『TVB』は、1969年から続いていた米アカデミー賞の生中継を今年は放送しないと3月29日に発表した。今年1月6日には同社の運営する有料動画配信サービスで放送予定だった日本のドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」の新春スペシャルが番組表から消え、放送もされなかった。

 TVBは現地メディアの取材に対して、アカデミー賞のキャンセルは純粋にビジネスとしての判断であるし、放送予定の変更はよくあることだと述べているが、前者は短編ドキュメンタリー部門にノミネートされている『Do Not Split』という作品が香港デモを題材にしている。賞を取る、取らないにかかわらずその映像が流れ、中身が紹介されることは予想される。後者はドラマの後半、武漢で発生した新型コロナウイルスが話の中で大きな要素を占めている。

 今後香港における報道の自由、言論の自由がどうなってゆくのかはわからない。だが昨年7月以降の経緯を観察する限り、自己検閲がさらにエスカレートしてゆくことは大いに懸念される。

カテゴリ: IT・メディア
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執筆者プロフィール
鍛治本正人(かじもとまさと) 香港大学ジャーナリズム・メディア研究センター副教授 1970年生まれ。愛知県出身。米ミズーリ大学コロンビア校に於いてジャーナリズム修士取得後、CNNの記者として2001年香港に移住。2010年より現職。また、同香港大学に於いて2014年博士(社会学)取得。専門はアジアにおけるニュースリテラシーおよび情報生態系の研究。2015年から20年までニューヨーク州立大学・ストーニーブルック校の外部客員教授も務める。ANNIEと呼ばれるアジア地域の報道の自由、メディア関連法案などを念頭に置いた教育NPOを2019年末に設立。著作にはユネスコから出版された『Media and Information Literacy Education in Asia』、オックスフォード研究辞典収録の論考『News Literacy』などがある(すべて未訳)。
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