医療崩壊 (67)

コロナ対策の医療技術が米国の「自己決定権」を変え始めた

執筆者:上昌広 2022年10月4日
エリア: アジア 北米
オンライン診療の拡大が世界を大きく変えつつある (C)Andrey_Popov/shutterstock.com
アメリカではコロナ対策で前進した医療制度・技術が社会インフラ強化に繋がり始めた。一方、「患者・国民」視点を欠いたままの日本は、技術の社会実装以前の段階に止まっている。医療とは究極的には患者と医師の「自己決定権」の問題だという認識が欠かせない。

 9月18日、ジョー・バイデン米大統領は、テレビ放映されたインタビューで、新型コロナウイルスの流行は終わったと表明した。ポストコロナの世界は、これから大きく変化する。コロナ対策で開発された技術が社会実装されるからだ。本稿では、この問題を論じたい。

オンライン診療が緩和するイデオロギー対立

 既に変化は具現化している。その1つが、中絶禁止を巡る米国社会の対応だ。今年6月、米連邦最高裁判所は、妊娠中絶の権利を認めた1973年の「ロー対ウェイド判決」を覆した。米国では中絶を認めるか否かを巡り二分され、国を挙げた議論が巻き起こっている。

 ただ、米国で「中絶難民」は大きな問題とはなっていない。その理由は2つある。1つは、中絶の手段が手術から薬物に変わっているということだ。米国では2000年にミフェプリストンとミソプロストールという内服薬を用いた中絶が認可された。2019年に行われた中絶の54%は内服薬によるものだ。

 もう1つは、コロナ禍でのオンライン診療の普及だ。内服薬を用いた中絶が急増したのは、コロナ流行により、医師との対面診療の要件が緩和され、オンライン診察後に中絶薬を郵送することが認められたからだ。米国在住の大西睦子医師は、

「私が住んでいるマサチューセッツ州の州議会は2022年7月29日、州外に住む患者に中絶サービスを提供する医療従事者を強力に保護する、抜本的な新しい生殖に関する権利法を可決しました」

 という。この結果、中絶が禁止されている州に住んでいる人も、中絶を認めるマサチューセッツ州で開業している医師の診察を受け、中絶薬を処方してもらうことができるようになった。

 米国社会はオンライン診療が発展することによって、イデオロギー対立を深めることなく、患者は勿論、医師の自己決定権を保障することが可能になった。私は、米国の医療はコロナを契機に新たなステージに入ったと感じている。

 日本は対称的だ。経口中絶薬は厚生労働省が承認審査中だが、同省は「(服薬には)配偶者同意が必要」との見解を示している。米国とは全く状況が違うのである。

尊厳死のあり方にも変化

 コロナで一変したのは中絶だけではない。米国では尊厳死のあり方も大きく変わった。ご興味のある方は、大西睦子医師の論考(『自殺ほう助や安楽死 欧米の終末医療事情』)を御参照いただきたいが、本稿ではその概要をご紹介しよう。

 ポイントは、医師が薬物を注射して「自殺幇助」する欧州とは違い、米国では内服薬で安楽死するため、医師が立ち会う必要はないということだ。経口薬を用いるため、中絶と同様の変化が起きている。

 コロナ禍で対面診療の継続が困難になると、尊厳死についてもオンライン診療で代替しようという人々が出現し、社会的な議論となった。2020年3月には、「医師による自殺幇助についての米国臨床医アカデミー(ACAMAID)」が、医師は遠隔医療を通じて患者の評価を完了し、訓練を受けたボランティアがオンラインで患者と家族に付き添う、というガイドラインを発表した。一定の社会的コンセンサスが確立し、安楽死が認められていない州に住む患者も、安楽死が認められている州で開業する医師の診察をオンラインで受診し、必要な薬剤を送付してもらうことが可能となった。

 製薬企業の治験のあり方も一変した。昨年11月、米ジョンソン・エンド・ジョンソンが、糖尿病治療薬カナグリフロジンの第3相臨床試験を、被験者が医療機関に通院することなく全てバーチャルでやり遂げたという事例が、その象徴だ。

 オンライン診療の普及は地域医療のあり方も変える。手術はともかく、プライマリ・ケアなら、離島だろうが僻地だろうが、オンラインならどこにいても名医の診察を受けることが可能になる。すでに米国では、ユナイテッド・ヘルスケア社などが、遠隔診療に限定したプライマリ・ケアを提供する保険の販売を開始した。同社の調査によると、利用者の4人に1人は主治医と直接会うより、オンライン診療の方が良いと回答している。

「国家統制」と「地域独占」が続く日本

 こうした米国の状況は、日本とは全く違う。なぜ、こんなことになるのだろうか。それは、厚労省を筆頭に、医療関係者が変化に抵抗しているからだ。彼らが恐れるのは、変化が既得権を損ねることにある。

 我が国の医療の特徴は、厚労省による国家統制だ。コロナ対策において、入院基準を患者と医師が相談して決めるのでなく、国家が一律に定めている先進国は、私は日本しか知らない。

 国家統制は利権を生む。その1つが、厚労省が全国一律に定める診療報酬だ。東京都心部で経営が成り立つような診療報酬を設定しているから、地方の医療機関は大儲けする。しかも対面診療をしている限り、競争は地域限定だ。医師不足の我が国では、周辺の医療機関との競争は限定的で、経営は安泰だ。ところがオンライン診療が普及すれば、この地域独占が崩壊しかねない。

 地方の開業医は、与野党を問わず、国会議員の有力支援者だ。平素から票と金でお世話になっている政治家が、開業医が嫌がる規制緩和を積極的にやろうとするはずもない。こうした構造があるから、コロナ禍で世界中がオンライン診療の普及に躍起になっているなか、日本は「発熱外来」「在宅医療」を推奨し、一時はオンライン診療を規制するなど、独自の道を歩んだのである。

 厚労省、周囲の専門家、医療界は、患者・国民の利益よりも医療提供者の都合を優先した。コロナ流行当初、「医療機関を守る」ため、受診を37.5度の発熱が4日以上続く人に限定していたし、最近は、「医療機関や保健所の負担を軽減する」ため、届け出基準や入院要件を緩和している。この基本的な姿勢の違いが、我が国がコロナで益々、衰退している理由の1つだろう。

進む医療分野への新規参入

 世界は違う。多くの人が「感染したくないから、病院に行きたくない」と望み、関係者は、この期待に応えようとした。

 米国は、2020年3月に医療機関でのコロナ感染の拡大を防ぐため、既に承認した心電図やパルスオキシメーター、電子聴診器などの生体を傷つけない非侵襲的な医療機器とそのソフトウェアを、遠隔診療に用いることを緊急承認していることなど、その一例だ。

 自宅で利用できる検査も続々と開発された。自宅検査キットを普及させるためには、検査メーカーや医療機関だけでなく、物流企業の参画も欠かせない。昨年1月にアマゾンは、FDA(米食品医薬品局)が承認した検査キットの販売を始めている。

 厚労省の対応は違う。検査の精度管理の難しさを強調し、薬剤師の対面での指導を義務付けた。ネットでの販売が解禁されたのは今年8月24日で、ロシュ・ダイアグノスティックスが販売する一般向けの抗原検査キットが承認された。

 この時間差は致命的だ。米国では、オンライン診療の経験が蓄積し、新たな社会システムが構築されつつある。コロナ流行以降、アマゾンが医療分野への進出を加速させたことなど、その象徴だ。昨年10月には、オンラインと訪問診療の二本立ての医療サービスを米国内の5都市で開始しているし、今年7月には米国のプライマリ・ケア提供会社ワン・メディカルを約35億ドルで買収している。

 参入するのは物流企業だけではない。オンライン診療を発展させるには、ウェアラブル端末やセンシング技術の開発も欠かせない。アップル・ウオッチなどのウェアラブルデバイスを用いることで、心拍数・血圧・血中酸素飽和度、心電図などが測定できることは有名だが、昨年5月には、米テキサス大学オースティン校の研究チームが、痒みを感知するウェアラブルセンサーを開発したと米『サイエンス・アドバンシーズ』誌に発表している。

新たな「エコシステム」は試行錯誤からしか生まれない

 このような技術革新が進めば、コロナで在宅勤務、リモート会議が普及し、我々の日常生活が一変したように、世界の医療提供体制も大きく変わるだろう。そこで重要なのが経験だ。世界は、ポストコロナの医療体制構築に向けて、試行錯誤を繰り返し、その結果を学術論文として発表している。

 例えば8月27日、スウェーデンの研究チームが英『ランセット』誌に発表した研究がそうだ。彼らは900人の女性を対象にして、オンライン診療で中絶薬を提供する方法と、従来の対面診察から医療従事者の前で服用した場合の有効性を比較した。結果は、中絶成功率95.6%対96.6%と遜色なかった。

 注目すべきは、この臨床試験が南アフリカで行われたことだ。新しい医療提供体制は既にアフリカにも及んでいることになる。医師・看護師が不足しているアフリカの方が受け入れやすいという側面があるのだろう。

 ただ、多くの試行錯誤は地道である。8月26日に、米エモリー大学の研究チームが、『米国医師会誌(JAMA)』に報告したコロナ検査の研究は興味深い。彼らは4~14歳の子ども197人を対象に、自分で鼻(前鼻孔)からサンプルを採取した場合と、医療従事者が採取した場合の検査精度を比較した。コロナ感染陽性、陰性の場合の一致率は、それぞれ97.8%、98.1%であり、子どもの自己採取でも問題はないことがわかった。

『米国医師会誌』はこの研究を重視し、8月26日号に「子どものコロナ検出のための自己サンプリング」という社説を掲載している。このような論文を社説付きで掲載していることこそ、米国医師会の基本的な姿勢を示している。

 このような姿勢は、社会の利益にも合致する。それは、ウィズ・コロナを実現するには、検査数を増やすしかないからだ。2021年9月、英オックスフォード大学の研究チームは、英国内の204の中等・高等教育機関を対象に、濃厚接触者に対する10日間の自己隔離と、毎日抗原検査を実施して陰性の場合は普通に通学するという方法とを比較した研究を『ランセット』誌に発表した。この研究では、両者で感染拡大に有意差はなく、検査体制を強化することで、日常生活の制限緩和が可能なことが示された。『米国医師会誌』が、前出の論文・社説を掲載したのは、このような背景があるからだ。

 世界では、コロナ対策をきっかけに発展した技術が、さまざまな分野に実装されつつある。各国は試行錯誤を繰り返すことで、ポストコロナの「エコシステム」を発展させ、新しい時代を迎えようという社会的なコンセンサスが醸成しつつある。「コロナを普通の病気と同じに」(8月2日、尾身茂コロナ対策分科会会長)と言うだけで思考停止している日本社会とは対象的だ。コロナを契機に、世界は大きく変わりつつある。我々は、もっと世界から学ぶべきである。

 

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執筆者プロフィール
上昌広(かみまさひろ) 特定非営利活動法人「医療ガバナンス研究所」理事長。 1968年生まれ、兵庫県出身。東京大学医学部医学科を卒業し、同大学大学院医学系研究科修了。東京都立駒込病院血液内科医員、虎の門病院血液科医員、国立がんセンター中央病院薬物療法部医員として造血器悪性腫瘍の臨床研究に従事し、2016年3月まで東京大学医科学研究所特任教授を務める。内科医(専門は血液・腫瘍内科学)。2005年10月より東京大学医科学研究所先端医療社会コミュニケーションシステムを主宰し、医療ガバナンスを研究している。医療関係者など約5万人が購読するメールマガジン「MRIC(医療ガバナンス学会)」の編集長も務め、積極的な情報発信を行っている。『復興は現場から動き出す 』(東洋経済新報社)、『日本の医療 崩壊を招いた構造と再生への提言 』(蕗書房 )、『日本の医療格差は9倍 医師不足の真実』(光文社新書)、『医療詐欺 「先端医療」と「新薬」は、まず疑うのが正しい』(講談社+α新書)、『病院は東京から破綻する 医師が「ゼロ」になる日 』(朝日新聞出版)など著書多数。
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