やっぱり残るは食欲 (5)

本場への旅

執筆者:阿川佐和子 2022年12月17日
カテゴリ: カルチャー
エリア: アジア
その場の雰囲気も含めて「本場の味」なのかもしれませんね(写真はイメージです)

 円安が進み、物価は上がり、なんだか日本(日本だけじゃないけれど)は鬱々とした時代を迎えようとしているかに思われる。ようやくコロナ自粛生活から解放されて、そろそろ海外旅行ができるかしらと期待していたのに、「どこへ行っても高い高い!」という海外旅行先駆け組の情報が耳に届くにつれ、旅の夢はますます遠のくばかりなり。

 「なんたって、ハワイでラーメン一杯が三千円以上するんだぞ」

 へええと驚いて見せながら、どこか釈然としない。せっかくハワイまで行って、なんでラーメンを食べるんだ?

 昔から私はこの件に関して懐疑的である。長期にわたり日本を離れるのなら話は別だ。故郷の食べ物が恋しくなり、懐かしの味と比べれば劣るとわかっていても日本食の店に足が向くのは無理もない。が、たった数日間の旅に出て、日々の鬱屈から解放され、身も心もリフレッシュする絶好のチャンスだというのに、なぜ日常の味を求めるのだ、君たち!

 「いやいや、最近は海外にもおいしいラーメン屋があるんですよ」

 「やっぱり酒を飲んだあとはラーメン食べたくなるんですって」

 そう弁明するのはたいがい殿方である。概して男どもは食に保守的だ。偏見かもしれないが、そんな気がする。

 かく言う私は海外旅行に出たら、まずその国の、その土地の人々が「おいしい!」と太鼓判を押す本場の料理を食べてみたい。もちろん異国人である私の舌に馴染まない場合もあるだろう。体調を崩すこともある。それでも一度は挑戦したい。同じ地球に住む同じ人間ではないか。たとえ生まれ育ちが異なれども、その土地で「おいしい!」と人々が好んで食べているものは、きっと「おいしい!」に違いない。

 内モンゴルを旅したときのこと。モンゴルの人々にとって「おいしい!」ものはもっぱら羊肉であった。どこへ行っても羊。何を食べても羊。そのうち汗が羊くさくなり、だんだん自分が羊と化していくのではないかと想像したほどだ。しかし私は決して羊肉が嫌いではない。羊肉はおいしい。ことに羊しゃぶしゃぶは大好物と言っても過言ではない。子羊の丸焼きを、アルコール度の極めて高い蒸留酒アルヒとともに口に入れたときは感動した。見事な味わい、これぞ文化というものよ。

 ただ、その旅の途中で豪華なレストランへ案内され、そこで供された「らくだのつま先」には仰天した。

 「当地の珍味です。大変高価なものです」

 そう説明され、どれどれと口に運んで歯の間に収め、グニューと噛み締めた瞬間、脳天を突き抜けるかのような野性味溢れる匂いに思わず失神しそうになった。見た目はいわば、豚足のようである。らくだの分だけ大ぶりの丸い形状をしたコラーゲンのかたまりだ。珍味と言われる理由もよくわかる。しかし「おいしい!」と申し上げる余裕はなかった。

 以来、私はあちこちのレストランにて、店の人に「なにかお苦手なものはございますか?」と問われるたび、

 「らくだのつま先とゾウの鼻。それ以外、苦手とするものはありません」

 そう答えることに決めている。たいがい笑われる。さすがにそのようなものは当店ではお出ししませんのでといった表情である。

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執筆者プロフィール
阿川佐和子 1953年東京生まれ。報道番組のキャスターを務めた後に渡米。帰国後、エッセイスト、小説家として活躍。『ああ言えばこう食う』(集英社、檀ふみとの共著)で講談社エッセイ賞、『ウメ子』(小学館)で坪田譲治文学賞、『婚約のあとで』(新潮社)で島清恋愛文学賞を受賞。他に『うからはらから』(新潮社)、『正義のセ』(KADOKAWA)、『聞く力』(文藝春秋)など。
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