やっぱり残るは食欲 (7)

最後の試金石

執筆者:阿川佐和子 2023年2月19日
カテゴリ: カルチャー
あなたは「最後の晩餐」に何を食べたいですか?(写真はイメージです( Terri Cnudde / Pixabay

 両親を看取っていただいた「よみうりランド慶友病院」の会長、大塚宣夫先生は、常日頃より、「食べる意欲を捨てたとき、それは死を覚悟するということです」とおっしゃっておられる。だから大塚先生の病院では、できるかぎり入院患者が「食べたい」と思うものを提供できるよう工夫なさっている。外食も持ち込みもオーケイ。お酒もたしなむ程度なら呑むことを許し、病室からお寿司や鰻を注文することも可能である。

 もちろん、人によって食べることへの関心の度合いはそれぞれだ。仕事のほうが面白くて食べる時間が惜しいと思う若者もいるだろう。美食を求めて躍起になることをはしたないと言う人もいる。「おいしい」とはどういうことなのか、よくわからないと呟いた編集者を知っている。反対に、「死ぬまでに食べる回数は限られているのだから、一食たりとも不味いものは食いたくない」と豪語した我が父のような人間も案外、多い。そして私は、父ほど毎食、抜群においしいものを食べなくてもいいけれど……、不味いものは食べたくないけれど……、大塚先生がおっしゃるように、食べることへの関心を完全に失ったら、死期が近いと自覚するだろう。

 もっとも父は、死ぬ間際まで食べ物のことを考えていたように思われる。亡くなる少し前、見舞いに行くと弱々しい声ながら、「鯛の刺身が食いたい。マグロもいいなあ」とバカに積極的なことを言い出した。孝行娘はそんな意欲的な父を喜ばせたくなり、数日後、デパ地下を走り回ってマグロと鯛と、ついでにウニと鱧の刺身も買い込んで病院へ持ち込み、誤嚥性肺炎を起こさないよう細かく刻み、父の口元へ運び、用心深く咀嚼するよう促した。しばらくモゴモゴと口を動かしていた父が、「旨いね」と反応したとき、私は「やったあ!」と思ったものだ。

 気をよくした私は、続いて到来物のおいしいローストビーフと、トウモロコシを油で揚げて父のもとへ運んだが、ローストビーフは喜んだものの、トウモロコシの天ぷらには、「不味い!」とはっきり言い切った。そしてその翌日に息を引き取った。すなわち、「不味い!」が、娘に向けた父の最期の言葉となった。

 しかし今思い返しても、父はまことに死ぬ直前まで食べることに意欲的だった。体のあらゆる機能が低下して、胃腸の循環も決して芳しかったとは思えないのに、それでもなお、おいしいものを食べたいという欲が衰えなかったのである。我が父ながら天晴れであった。

 最後の晩餐に、あなたはなにを望みますか。三十年近く昔、ある雑誌のシリーズ企画に応じたことがある。さて何にしようか。さんざん迷った末、私は、

 「おにぎりにします」

 編集担当氏にそう告げると、

 「おにぎりは前号で他の方が選ばれましたので、他のもので……」

 そうか。同じ食べ物が続くのは避けたいのであろう。しかたあるまい。

 「では、ナマコの醤油煮で」

 そう宣告したとき、編集担当氏は冷静を装いながらも奇異に思ったはずである。もうすぐ死ぬという人間が、そんな濃厚な中華料理の一品を食したいと思うか。疑念が湧いたにちがいない。しかしベテラン編集者とは立派なもので、そんな疑念はおくびにも出さず、

 「ああ、それはいいですね。さっそく撮影する店を探します」

 こうして私は赤坂の維新號本店へ赴き、美しくもこってりと煮込まれたナマコのプルンプルンを箸でとって白いご飯に乗せ、大口を開けて頬張った。

 シャカシャカシャカ。カメラのシャッター音が部屋に響く。

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執筆者プロフィール
阿川佐和子(あがわさわこ) 1953年東京生まれ。報道番組のキャスターを務めた後に渡米。帰国後、エッセイスト、小説家として活躍。『ああ言えばこう食う』(集英社、檀ふみとの共著)で講談社エッセイ賞、『ウメ子』(小学館)で坪田譲治文学賞、『婚約のあとで』(新潮社)で島清恋愛文学賞を受賞。他に『うからはらから』(新潮社)、『正義のセ』(KADOKAWA)、『聞く力』(文藝春秋)など。
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