やっぱり残るは食欲 (10)

シチューそうそう

執筆者:阿川佐和子 2023年5月13日
カテゴリ: カルチャー
エリア: アジア
「泥みたい」な森山シチュー、そのお味は?(写真はイメージです)

 森山良子さんが森山家伝来のシチューを作ってくださった。お宅にお招きいただいたわけではない。私が司会を務めるテレビ番組の企画である。事前にキッチンスタジオで作る工程を収録していただき、後日、スタジオにてその映像を森山さん含めた出演者全員で見つつ楽しむというしつらえだ。映像の中で良子さんは何度も、「簡単なのよー」、「いい加減なのー」と謙遜しながらも、慣れた手つきでテキパキと作業を進めていく。「テレビカメラの前だと緊張しちゃうわねえ」と言いながら、調味料を大胆かつ大ざっぱにパッパカ振りかける。

 料理をすると、その人の本質がわかると言われるが、良子さんの場合、解説は歌うがごとく、動きは踊るがごとく、優雅に楽しげに調理されるが、一つ一つの作業は豪快そのもの。男勝りの思い切りの良さが随所に窺われる。常日頃より何をしても苦にすることのない方だと敬服していたけれど、その料理姿を拝見し、さらにその感を強くした。

 さて、そんな良子様の作るシチューはどんなものかと問われれば、一見、「?」と思うシロモノである。現にこのシチューを初めて食した娘婿殿の小木氏の言葉を借りると、

 「なんか、泥みたい」

 そんな失礼な感想を返されても姑の良子様は、「そうなのよ、みんな最初はびっくりするの」と、素直に認める寛容ぶりである。

 そもそもこのシチューは、良子さんのいとこであるかまやつひろしさんのお母様から伝授されたものだという。以来、森山家で頻繁に作ってきた一品らしい。

 それぞれの家庭にはそれぞれ受け継がれてきたシチューというものがある。

 阿川家のシチューは私が物心つく前から本格的だったようだ。その件については以前に触れた気がするが、父は、母の唯一の嫁入道具だった村井弦齋著『食道楽』に目をつけて、その書に登場する料理の数々を、新婚間もない母に強制的に作らせた。その一つがオックステール・シチューであり、またタン・シチューでもあった。仔牛の脳みそのフライなるものにも母はトライしたらしいが、調理の途中で覗きにきた父が、そのあまりにもグロテスクな姿に恐れおののいて、結局、我が家の食卓には載らず、隣家にお届けし、たいそう喜ばれたという逸話も長く語り継がれてきた。

 仔牛の脳みそのフライはさておき、オックステール・シチューやタン・シチューの作り方がその名著にはどんな具合に記されていたのか。昔から気になりつつも確認する機会を逸していた。両親亡きあと実家の整理をした折、どこかにしまい込まれているはずの『食道楽』を探し当て、拙宅に持ち帰ろうと企んだが、結局見つけることができなかった。大量のガラクタに紛れて姿を消してしまったようだ。となれば……、そうだ、父が自らの食エッセイにシチューの話を書いていたはずである。思い至って阿川弘之著『食味風々録』(新潮文庫)を繙(ひもと)くと、あった。

 さっそく「牛の尾のシチュー」という項を開いて読み進む。予想通り、父は『食道楽』を読んでオックステール・シチューを知り、母に作らせたとある。

――青山に吉橋という肉屋があった。朝からビーフステーキを食う岡本かの子が、かつて贔屓にしていた店で、御用聞きの鈴木の小父さんに、「牛の尻っぽ、それも皮つきの奴」と頼んでおくと、二、三日中に配達してくれる。牛の尾の外皮は、毛抜きに手間が掛るし、そのまま売れば自転車のサドルが一枚分取れるので、肉屋の職人が扱うのをいやがるそうだが、それでも安かった。かくてわが家の女房は、先ず自分の嫁入道具をたよりにオックステール・シチューの作り方を覚えた。

 そこからいよいよ作り方に続くのかと文字を追う。が、父の関心はもっぱら村井弦齋とその著書に傾いたようで、シチューからいつしかトマトジャムの話へ転じ、さらに明治の中頃に出版されたこの本を取り巻く逸話のあれこれや、本書が当時、どれほどのベストセラーとなり、若い娘の嫁入道具として日本人に愛好されていたことなど、そして最後には、うちの女房(母のこと)はもはや老女となり、「牛の尾のシチューとか東坡肉とか、『食道楽』風の手の込んだ料理なぞ、今では、めったにもう拵えてくれない」という愚痴で締めている始末だ。これではタイトル詐称だぞ。牛の尾のシチューのことなど、ほんの数行しか記していないではないか。まあ、亡き父に文句を言ってもしかたあるまい。

 かくなる上は、もはや老女となった娘の記憶を辿るしか手立てはなさそうだ。

 私が子供の頃、母がシチューを作るときはまず小麦粉とバターを丹念に炒めるところから始めていた。ブラウンソースを作るためである。当時はデミグラスソースの缶詰やブラウンソースの素などというものは市販されていなかった。

 バターの黄色が粉に染み込んで、最初はねっとりしているペースト状のルウを弱火の上で杓文字を使って丁寧に炒めるうち、少しずつ薄茶色から茶色、さらに焦げ茶色へと変色していく。しっかり濃い茶色になって生地の状態もねっとりからサラサラし始めたところへ、あらかじめ別鍋で茹でておいたタンやテールから染み出たスープを差せば、ジュワーッという音とともにとろりとしたブラウンソースが出来上がる。これをベースにして、肉や野菜と混ぜ合わせるのが我が家のシチューの基本的な作り方だった。

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執筆者プロフィール
阿川佐和子(あがわさわこ) 1953年東京生まれ。報道番組のキャスターを務めた後に渡米。帰国後、エッセイスト、小説家として活躍。『ああ言えばこう食う』(集英社、檀ふみとの共著)で講談社エッセイ賞、『ウメ子』(小学館)で坪田譲治文学賞、『婚約のあとで』(新潮社)で島清恋愛文学賞を受賞。他に『うからはらから』(新潮社)、『正義のセ』(KADOKAWA)、『聞く力』(文藝春秋)など。
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