「日本版ライドシェア」は本当にタクシー不足の特効薬か? 実は「地域格差」悪化の懸念も
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タクシー不足を解消するため、この春から地域や運行時間を限定して「日本版ライドシェア」が始まった。タクシー事業者以外の会社も参入できる「全面解禁」に進むかが焦点だが、ここにはタクシー業界が試行錯誤を繰り返してきた需要と供給の調整が、さらに難しくなる懸念もある。いま空車で捕まらない朝の住宅街などでは、必ずしも事態が改善するとは限らない。一筋縄ではいかない現状を業界に詳しいノンフィクションライターの栗田シメイ氏が取材した。
「トラブルが多い歌舞伎町は選ばない」
まだ梅雨の訪れぬ6月中旬、金曜日の深夜1時過ぎだった。新宿・歌舞伎町の靖国通り沿いに新設されたタクシー乗り場では、30人近い人々が列を成し、40分ほど待っても列はほとんど進む気配がない。待ち兼ねて配車アプリを利用するも、到着までの待ち時間は30分以上と表示された。千鳥足の乗客が列に横入りし、苛立つ待ち人との間でちょっとした小競り合いまで起きはじめた。
そんな様子を傍目に、派手な柄物のシャツを身に纏った男性が「遠距離であれば安く乗せるよ。領収書も出せるから」とタクシーを待つスーツ姿の男性グループに声をかけると、彼らは雑踏の中に消えていった――。人目につく新宿の地でも“隙間”を狙った白タク行為が平然と行われていることに驚かされる。ようやく順番が来てタクシーに乗り込むと、ドライバーは開口一番にこう言うのだった。
「今日は金曜日にしてはまだ待ち時間は少ないほうですよ。我々もアプリが鳴ったとて、わざわざ酔客やトラブルが多い歌舞伎町を選ばないですから」
タクシー不足を叫ぶ声が強まってから、すでに1年余りが経過している。コロナ禍で離れたドライバーは全国的には若干の回復傾向にあり、コロナ前との比較でもおよそ8割の水準まで戻ってきた。とはいえ、それでも未だ7割台の都道府県が約20あるという現実もある。
6月13日、全国知事会は一般ドライバーが自家用車で有料輸送する「ライドシェア」に関して「地域の実情に応じた対応を」とする要望書を斉藤鉄夫国交相に提出した。4月から稼働したタクシー会社が管理する「日本版ライドシェア」は万博を控える大阪のように全面解禁を要望する首長もいれば、三重や新潟のように「労働者の搾取に繋がる」と慎重な姿勢を崩さない知事もいる。また、福岡市のように当初は否定的だったが、一転導入へ踏み切った都市もあった。
知事達の反応が異なるのは、過去の苦い記憶の影響も小さくない。2002年の小泉政権時にタクシー業界の規制緩和が行われ、特に影響が深刻だった仙台では、約1000台ものタクシーが急増してしまう事態に陥った。結果、ドライバーの1日あたりの売上げは1万円近く下がり、食えなくなった離職者が後を絶たなかった。事故や運転マナーの悪化も顕著で、タクシーを取り巻く環境は激変した。そんな前例があるだけに、慎重派の首長が多いのもある意味では当然でもある。
ライドシェアドライバーも結局「ナカ」に行く
新たな「規制緩和」によりタクシー不足を解消しようという「日本型ライドシェア」を導入してもタクシー業界が抱えてきた問題が即座に解消されるわけでない。
現にドライバーが増えてもタクシーが捕まりにくいという現象が起きており、タクシーの需給環境に地域差が生まれているのが実状だ。東京都内を例に挙げると、冒頭に示したような週末、深夜の新宿はその典型である。ドライバー達に聞くと、乗車場所が混雑しやすい、短距離移動が多いなどの理由で嫌われる傾向にあるという。
その一方で、サラリーマンが集まる新橋や赤坂、県を跨ぐことも珍しくない“上客”がいる深夜の六本木などの港区では流しのタクシーも捕まりやすい。そして、中心地から少し外れた住宅街エリアでは、総じて朝の時間帯で供給が足りていない。高齢者の生活の足の確保という観点からも、朝にタクシーをどう稼働させるかというのが深刻な課題となっている。
業界大手の日本交通に取材した際には、「世田谷区と目黒区の朝の供給が一番不足している」と聞いた。この発言を読み解くと、人口とタクシー会社の需給バランスが歪な地域があるということだろう。
東京23区及び武蔵野市、三鷹市のタクシー乗務員の推移を見ると、20年時点では約5万8000人を数えた。それがコロナの影響で22年の3月末時点で5万人を切るも、今年5月には約5万2000人まで回復している。
それでも乗客視点では、曜日や時間帯によっては気軽にタクシーを利用できる状態に戻ったとまでは言い難い。訪日旅行客が急増し、旅客輸送の需要が高まったことも要因の1つだが、本質的には『歩合制で、個々が売上げを稼ぐために車を動かす』というタクシー業界の構造が影響している。台数が回復し、ライドシェアが動き出したとて、業界では「ナカ」と呼ばれる、中央区、千代田区、港区という中心地に車両が集まるという習性は変わらない。
山田さん(仮名・50代)は、内装業の会社を経営しながら、4月8日の開始日から副業でライドシェアドライバーとして働き始めた。配車アプリの「GO」を利用し営業する中、業務効率化のために試行錯誤を重ねてきた山田さんにはある気付きがあった。
「中心地への移動が期待できる場所を選ぶこと、いかにロスなく繫ぎで移動できるか、ということを意識しています。私が中野在住のため、近場ではじめたい場合は中野区の東京警察病院辺りから。売上げを立てたい日は、目黒や白金辺りまで車両を移動させるようにしています。より中心地へ向かいやすい場所というのがあり、これらを踏まえて、スタートするエリアは駅から少し離れた場所を重視しています」
こうした営業方法を確立してから、山田さんは早朝の4時間勤務で8、9組を輸送できるようになった。平均2万円以上を売上げ、経費を差し引いた純利益で1日あたり1万2000円程度を継続して稼いでいるという。アプリ配車の性質上、ドライバーが向かいやすいエリアとそうでないエリアは明確だ、と山田さんが続ける。
「例えば同じ港区でも新橋はいい営業場所ですが、朝の六本木には行かない。客層が若く、極端な短距離が多い渋谷の中心部は避けたい、などの意識は生まれています。効率を考えると、拠点から遠い世田谷区や練馬区は取りにくいですし、台東区より“外”に行くこともほぼありません」
「住宅街の朝」の利用はより困難になっていく
同じく配車アプリ「Uber」を使って営業しているライドシェアドライバーの高田さん(仮名・30代)も、やはり営業上好まないエリアがあると打ち明けた。
「管理するタクシー会社からは、(タクシーが不足しやすい)目黒区や世田谷区からスタートして欲しい、という要望はありましたが、強制ではなかった。自宅がある江東区からスタートし、ほぼ毎日中央区へと向かっている最中にアプリが鳴るイメージです。短時間で稼ぐことを考えると、どうしてもこのスタイルになる。江東区より東に行くことはほぼありませんし、中心部へ戻るのに時間がかかる世田谷区や、効率的ではない新宿や渋谷も出来れば避けたいというのが本音です」
さらに今後、顕在化しそうなのがタクシー事業所の問題だ。基本的にタクシー事業者は、多数のタクシーを駐車するのに広大な敷地を必要とするため、都の中心地には拠点を置きにくい。営業所レベルでは中心部にあるものも散見されるが、小規模となるため台数は自ずと少なくなる。世田谷区や目黒区もそんなエリアの1つだ。練馬区に本社を置くコンドルタクシーグループの岩田将克代表は、「今後ますますタクシー会社の郊外移転が進む」と断言する。
「業界全般的に社屋の老朽化が進んでおり、23区外への移転、事業所縮小の流れは止められないでしょう。そうなると、住宅街では朝のタクシー利用はより困難になっていく可能性が高い。実際、杉並区や中野区でも、事業者が武蔵野市や三鷹市へと移転となるようなケースも目立っている。これは維持コストを考えると避けられない流れです」
岩田氏は、住宅街でのタクシー利用が困難になっている状況は複数の事象が絡みあっている、とも述べた。
「住宅街では学校が多く、通学エリアと重なるため、タクシーの営業時間に制限がかかる。環七の朝は、左側車線がバス専用になるため営業が難しい。また、この1、2年で利用者の動き方が遅くなり、以前のような朝7時台ではなく、9時頃から配車の電話が鳴り始めるようになった。隔日勤務の乗務員は割増料金がかかる深夜に営業したいため、彼らの仕事の上がり時間と配車が増加する時間帯が重なるようになってしまっている。なかでも環七の外側、細い路地が多いことで乗務員に嫌われる傾向がある世田谷区では、今後も劇的な改善は難しいでしょう」
都心の大型事業所が減少
板橋区に東京営業所を構える三和交通(本社・横浜市)も、同様の見解を示す。広報担当者によれば、同社は都内で稼働率(有料で走行している実働率)は99%を維持しているという。それでもタクシー事業の性質上、近年は営業エリアの「ドーナツ化現象」が起きやすく、自ずと地域差は生まれてしまう、と説明する。
「家賃や維持費の関係で、都心の大型事業所が減少し、朝の時間帯だと配車依頼場所に営業所からたどり着けないという現状はあります。シフトの調整で夜に出勤する人員を増やし、なるべく住宅地の朝の配車依頼に対応しようとはしていますが、逆にいえば、それくらいしか効果的な手段がありません。弊社の乗務社員の大半は、エリア的に川越街道からスタートし都心に移動するため、板橋区に戻ってくるようなケースは少ないですね」
「ナカ」と呼ばれる都心部のタクシー事情はどうだろうか。港区・赤坂に本社を置く「km」の愛称で知られる国際自動車の広報担当者は、「港区に拠点を置く意義は大きい」と強調する。
「創業の地である赤坂へ本社を置くのは、ブランディングの一環でもあり、ドライバーの採用対策という側面も強い。港区という利便性は遠方での研修を嫌う応募者も多いなか、明確な利点となる。求職者に刺さるポイントですね。実際に昨年度は1000人以上の採用に成功しました」
その上で、23区内で需給環境に地域差が生まれていることについてはこんな見解を示した。
「世田谷、目黒、新宿、渋谷のタクシーは、最近不足しているようにも言われていますが、実はもう数十年にわたり捕まりづらい地域です。このエリアは富裕層も多く、タクシーの需要が高い。仮に供給量が増えても、電車やバスに乗っている方々がタクシーにシフトするだけなので、タクシー不足は解消しない。また、各社がアプリ配車に注力していることも、流し営業が減っており、それが悪循環につながっているのかもしれません」
「頼れるのは我々自身しかいない」
都内でタクシーが捕まりにくい地域が長年、存在してきた中で「日本版ライドシェア」が導入されても自由競争はさらに進み、それが改善されるかは不透明だ。
国会では年末に向けて、ライドシェア新法の設立の議論が加速していく。ライドシェアの全面解禁に懐疑的な全国ハイヤー・タクシー連合会の川鍋一朗会長は6月の総会で、「新法はできる。頼れるのは我々自身しかいない」と述べた。ワーキングプアの観点や安全面から一貫して反対の姿勢を崩さない川鍋氏は、全面解禁に向かう現状に危機感を強めている。近年で顕在化した東京での旅客輸送の地域差や、仮に自由化した際の都道府県レベルの地域格差が今後、一層際立つことも懸念される。
これらの課題にタクシー事業者はどう向き合うべきなのか。ライドシェアは効果的な打開策となりうるのか。改めて精査されるべき時勢を迎えている。