日本被団協によるノーベル平和賞受賞が意味するもの――核兵器を二度と「使わせない」とは何か

執筆者:鶴岡路人 2024年10月16日
タグ: 日本
核兵器なき世界が究極的な目標だとしても、それが実現するまでは、核兵器と共存していくほかない[2024年10月11日、ノルウェー・オスロ](C)AFP=時事
ロシアによる核兵器使用が懸念される中、日本被団協がノーベル平和賞を受賞した意味は大きい。ノーベル委員会は授賞理由で「核兵器使用のタブー化」に日本被団協が果たした役割を重視し、そこには核兵器を「使わせない」という国際規範の動揺に対する危機意識が込められている。核兵器を「なくす」という核廃絶よりも、「使わせない」が前面に出た格好だ。ただ、規範のみで「使わせない」ようにできるかは不明でもある。核兵器廃絶論者は核抑止を否定するが、長崎を最後の戦争被爆地にする目標は核抑止論者も共有している。「使わせない」にあたっての規範と抑止の比重など、より建設的な論争になることが期待される。

 2024年10月11日、ノルウェー・ノーベル委員会は、2024年のノーベル平和賞を日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)に授与すると発表した。関係者は歓喜し、国内では、ごく一部を除いて極めて好意的に受け止められた。

 しかし、ノーベル委員会がどのような認識のもとで、被団協の何を評価したかについては、必ずしも正確に理解されているとはいえないかもしれない。そこで以下では、ノーベル委員会による発表文に依拠してノーベル委員会の意図を分析したうえで、それが日本や世界にとって何を意味するかを考えることにしたい。端的にいって、今回ノーベル委員会が重点をおいたのは、核兵器廃絶よりも、核兵器をいかに二度と「使わせない」ようにするかである。

被団協は何を達成したのか

 ノーベル委員会の発表は、冒頭で、授賞理由として、(1)核兵器なき世界達成への努力と、(2)関係者の証言をつうじて核兵器が二度と使われてはならないことを示したこと、を挙げた。このうち、(2)に重心があったことは明確である。核兵器なき世界については、冒頭の授賞理由として一言触れられているだけで、その後はまったく言及がないからである。

 かわりに繰り返し登場して強調されるのは、核兵器は使われてはならないという、「核兵器使用のタブー化(nuclear taboo)」の重要性である。この国際的規範の形成に被団協による活動が大きな役割を果たしたというのである。

 ノーベル賞のなかでも、平和賞は、その選定の政治性が批判されることも多い。物理学賞や化学賞などに比べて賛否が問われがちなのは、性質上やむをえないといえる。それでも、平和賞の選定において、やはり重視されるのが「何を達成したか」という成果であることは当然だろう。少なくとも、成果が説明できる必要がある。

 その意味で、被団協が達成したのは、核兵器なき世界を進めたことではない。核兵器なき世界への道は、むしろ遠くなっているのが世界の現実だからだ。したがって、上記(1)でも、「努力」としか述べていない。努力は認められたとしても、それ自体では成果だと説明できない。

 そこで重視されたのが(2)であり、その結果が、「核兵器使用のタブー化」だという論理になる。この国際規範の形成への貢献という重要な成果があり、これが評価された。この論理構成は重要である。

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カテゴリ: 軍事・防衛
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執筆者プロフィール
鶴岡路人(つるおかみちと) 慶應義塾大学総合政策学部准教授、戦略構想センター・副センター長 1975年東京生まれ。専門は現代欧州政治、国際安全保障など。慶應義塾大学法学部卒業後、同大学院法学研究科、米ジョージタウン大学を経て、英ロンドン大学キングス・カレッジで博士号取得(PhD in War Studies)。在ベルギー日本大使館専門調査員(NATO担当)、米ジャーマン・マーシャル基金(GMF)研究員、防衛省防衛研究所主任研究官、防衛省防衛政策局国際政策課部員、英王立防衛・安全保障研究所(RUSI)訪問研究員などを歴任。著書に『EU離脱――イギリスとヨーロッパの地殻変動』(ちくま新書、2020年)、『欧州戦争としてのウクライナ侵攻』(新潮選書、2023年)、『模索するNATO 米欧同盟の実像 』(千倉書房、2024年)、『はじめての戦争と平和』(ちくまプリマ―新書、2024年)など。
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