第2部 チェルノブイリの捕虜たち(4) 帰らない人々

執筆者:国末憲人 2024年12月7日
エリア: ヨーロッパ
チェルノブイリ原発の技術者や科学者らとその家族は、放射能に汚染された原発城下町のプリピャチを捨ててスラブチチに移り住んだ(筆者撮影)
警備員たちの多くの住まいは、チェルノブイリ原発の事故処理で建設された「廃炉の城下町」、スラヴチチにある。捕虜となった169人はロシア国内の複数施設に収容されたが、家族はその拘束場所を、帰還した同僚が伝える情報や本人からの手紙などである程度は把握できたという。だが消息すら追えない人も、あるいはロシアの監視で歪められた手がかりしかない人も少なくない。夫や息子の帰還を待ちわびる女性4人と、最近家族が解放された女性1人にスラヴチチでインタビューした。2024年9月現在、依然として76人の拘束が続いている。【現地レポート】

 ロシア軍の捕虜になったチェルノブイリ原発の警備隊員のうち、オレクシー・ルトチェンコ(47)やアンドリー・グリシェンコ(28)は、苦難の末とはいえ、無事帰国することができた。ただ、それは全169人のうちの93人に過ぎない。2024年9月現在、残る76人は依然としてロシアで捕虜として拘束されたままである。

 彼らが暮らしていたウクライナ北部の街スラヴチチでは、家族たちが帰還を待ちわびていた。

廃炉の城下町

 ベラルーシとの国境近く、人口約2万4000人のスラヴチチは、様々な面で周辺の町村とは異なっている。

 ウクライナ北部の中心都市チェルニヒウから西に約40キロにあたり、周囲には森と豊かな農地が広がる。しかし、周囲に点在する集落がチェルニヒウ州に属するのに対し、スラヴチチだけは、2020年までどこの州にも属さない特別市であり、現在はキーウ州の行政区域に属する飛び地となった。特別扱いされるのは、チェルノブイリ原発の事故処理とその後の管理を担う原発勤務者の街であるからに他ならない。

 1986年の事故前、原発に勤務する技術者や科学者らとその家族は、原発の北西2キロあまりに建設された原発城下町プリピャチに住んでいた。事故による放射能汚染でプリピャチが破棄されたため、その住民の住まいとして新たにスラヴチチが建設されたのである。それまで原発の運転維持にかかわっていたプリピャチの住民たちは、事故原発の管理と廃炉を担うスラヴチチの住民となったのだった。つまり、ここはいわば「廃炉の城下町」である。

 この街に住むのは、ソ連各地から集まった原子力工学や放射線科学などのエリート専門家たちとその後継者らである。若々しいインテリ揃いで、所得も高い。これに見合うよう、都市自体も高級感を持つよう計画された。ソ連の街としては新しいこともあって、建物の傷みがあまり目立たず、整備の行き届いた広い公園を備えている。欧米の学園都市に似た雰囲気である。

 筆者は2012年1月にこの街を訪れ、福島第一原発の廃炉にかかわるインタビューをした。ただ、その時は真冬だったため、街は雪に閉ざされており、ウクライナの他の街との違いはあまり認識できなかった。今回、当地では初秋にあたる9月に訪ねたため、緑の豊かさが印象に残った。

 この街の中心部にある「スラヴチチ地域史・チェルノブイリ原発博物館」の館長クリスティーナ・ベリチェンコ(35)の紹介で、捕虜となった夫や息子の帰還を待ちわびる女性4人と、最近家族が解放された女性1人に、近くの会議室に来てもらった。

廃市プリピャチの風景(2009年4月、筆者撮影)
スラヴチチ中心部にある「スラヴチチ地域史・チェルノブイリ原発博物館」(筆者撮影)

プロパガンダ動画に夫の姿

 原発の警備隊員だった169人の捕虜は、2022年3月31日にベラルーシのナロウリャに連れていかれ、3日後にロシアに移送された。ここまでは全員一緒だが、その後はばらばらになったようである。

カテゴリ: 軍事・防衛
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執筆者プロフィール
国末憲人(くにすえのりと) 東京大学先端科学技術研究センター特任教授、本誌特別編集委員 1963年岡山県生まれ。85年大阪大学卒業。87年パリ第2大学新聞研究所を中退し朝日新聞社に入社。パリ支局長、論説委員、GLOBE編集長、朝日新聞ヨーロッパ総局長などを歴任した。2024年1月より現職。著書に『ロシア・ウクライナ戦争 近景と遠景』(岩波書店)、『ポピュリズム化する世界』(プレジデント社)、『自爆テロリストの正体』『サルコジ』『ミシュラン 三つ星と世界戦略』(いずれも新潮社)、『イラク戦争の深淵』『ポピュリズムに蝕まれるフランス』『巨大「実験国家」EUは生き残れるのか?』(いずれも草思社)、『ユネスコ「無形文化遺産」』(平凡社)、『テロリストの誕生 イスラム過激派テロの虚像と実像』(草思社)など多数。
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