レーガンとサダム 妙な関係

執筆者:徳岡孝夫2004年8月号

 俗にいう「信じられない光景」とは、あれを指すのだろう。一九七二年二月、リチャード・ニクソン米大統領は北京に行き、毛沢東と膝を交えて談笑した。場所は毛の自宅の書斎。 米国は当時「中国の首都は台北にある」と言っていた。中国はアメリカなんて「張り子のトラ」だと言っていた。そういう倶に天を戴かない両国の首魁が、親しく語り合った。世界は目を疑った。 ニクソンが「私は反共主義者と呼ばれている」と、まず口を切ると、毛は笑って「反共主義者の方が物分かりがいい。話が通じる」と答えた。世界を舞台に、ニクソンは中国をソ連から奪うという大曲芸を演じた。その後まもなく、彼はベトナム戦争を止めた。 一九八〇年のロナルド・レーガンも、反共主義者として登場した。ただの反共ではなくハリウッド製の、それも二流の役者だった。彼の反共は、どうせ底の浅いアカ嫌いのショーマンシップだろう。レーガンの政治は、おそらく見てくれ本位の安芝居に違いない――東部出身、高学歴の学者、知識人、キャスター等の多くは、レーガンに冷ややかだった。 だが「ニューヨーク・タイムズ」「ワシントン・ポスト」だけが新聞ではない。CBSテレビのキャスターは「神の声」ではない。リベラルすなわち左翼・容共派は米国でもマスコミの主流を占めているし、彼らの推す政治家はなまじ「良心」に駆られて共産主義と折り合おうとするあまり、敵にナメられる。

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