9.11直後のアメリカ脱出

執筆者:竹田いさみ2004年9月号

 フランスのSF作家ジュール・ヴェルヌの『八十日間世界一周』を読み、世界旅行を夢想したのは中学生の頃であった。以来、その熱は冷めることがなく、海外でのフィールドワークがしたくて留学もした。現在、大学の授業の合間を縫って海外の現場に出向くことが増え、「八十日間」ならぬ「八十時間」で往復することもしばしばとなった。中国やフィリピンへは一泊で、韓国なら日帰りで出かけ、人に呆れられることも多い。 三年前の九月十一日、米国西海岸オレゴン州のポートランド市内にあるホテルの一室にいたのも、駆け足の旅の途中であった。時差ぼけの頭でCNNテレビのスイッチを入れた時、ジェット旅客機が世界貿易センタービルに突入する映像が飛び込んできた。 筆者は、日米友好を目的とした「A50」という友好親善キャラバンの一員として、サンフランシスコ講和条約五十周年を記念する式典に参加、ちょうどポートランドに移動した直後であった。主催者の英断が下り、キャラバンは各チームの自主判断で帰国ルートを選択し、帰国便を手配することになった。筆者のチームも三人で帰国ルート探しをはじめた。 翌十二日の午前中、テレビを見続けて状況の把握を行なう。午後に市内を歩き回ると、飛行禁止の青空には米空軍の戦闘機が低空飛行。十三日早朝、陸路でカナダを目指すことに決めた。米国よりカナダの方が、空港閉鎖の解除が早いと考えたからだ。ポートランドから鉄道アムトラックでシアトルに向かい、マリナーズの球場の真正面で乗り継ぎのバスに乗り、国境を越えて一路カナダへ。夕方五時半、ポートランドから八時間でバンクーバーに到着した。

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