若きセザンヌとゾラを包んだプロヴァンスの陽光

執筆者:大野ゆり子2004年9月号

 夏休みの南仏プロヴァンスには、ヨーロッパのあらゆる国から観光客が集まる。この七月、エクス・アン・プロヴァンスを訪れる機会があったが、町の中心に毎朝立つ青空市場で、新鮮な魚や太陽を一杯に浴びた真っ赤なトマトを見たり、土地のチーズを試食したり、周辺の畑でとれた緑のバジルや紫のラヴェンダーの花束の香りを嗅ぐと、都会では磨耗する一方の五感が生き生きと蘇ってくる感じがする。 ヴェルディの名曲オペラ「椿姫」で、純愛など信じられなくなっていたパリの高級娼婦ヴィオレッタに、まっすぐな愛をぶつけていく青年アルフレードは、このプロヴァンスの出身だ。オペラの台本のもととなったのは、美貌と才気、優美な物腰でリストなどの芸術家や王侯貴族を魅了した実在のパリの高級娼婦マリー・デュプレシをモデルにデュマ・フィスが書いた小説である。恋人の存在はフィクションだが、洗練と引き換えに退廃の香りを放つ当時のパリの社交界に対して、純情な青年の出身地をプロヴァンスにしたことは、実に巧みな設定といえるだろう。 エクス・アン・プロヴァンス出身の画家にセザンヌがいる。彼が晩年に制作に取り組んだアトリエを訪れてみたが、正方形の部屋の二つの壁面が天井まで五メートルはあるガラス窓になっており、南仏ならではの明るい陽光が空間を満たしていた。赤、黄、橙、緑、青――セザンヌの鮮やかでニュアンスに富んだ色彩は、この光なくしては誕生し得なかったのだと納得させられる。

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