リーマン・ショックにたたられた西田氏 (C)時事
リーマン・ショックにたたられた西田氏 (C)時事

「観光はモノ(製品)主体の消費型産業にないコト(サービス)主体のイノベーティブ産業として(中略)デフレ経済下にある日本経済の持続的成長への回帰に大きく寄与できる産業でもあります」  経済誌や業界紙で正月恒例の企業・団体トップの年頭所感。発行部数3万2000部の「旬刊旅行新聞」(月3回発行)の元旦紙面に、日本観光協会(日観協)会長のコメントがさりげなく掲載されていた。この日観協会長とは東芝の西田厚聰会長(67)のこと。昨年6月、前任者の元運輸事務次官の中村徹(75)に代わり、初の民間出身者として会長に就任した。  アジアからの訪日客急増(2010年は前年比約25%増)、日本ツーリズム産業団体連合会との統合(今年4月、新団体の名称は「日本観光振興協会」)など、日観協を取り巻く環境が大きく変わりつつあるとはいえ、「西田さんのような大物財界人が引き受けるポストではない」(日本経団連幹部)。日観協関係者によると、「経団連副会長として西田さんが、観光分野の政策提言で中心的な役割を果たしたのが縁」という。それにしても、だ。

消え失せた「スピード経営」

 日立製作所と東芝は痩せても枯れても日本の製造業の代表銘柄。この数年、日立の迷走もあり業績面では東芝がリードを保ってきたが、2009年、10年と2年続いた社長人事で人心を一新した日立が収益をV字回復させたあたりから、形勢逆転の印象が広がりつつある。東芝は中小型液晶パネルやシステムLSI(大規模集積回路)など不採算事業の整理にもたつき、昨年末の一連の「アップル特需」(「iPhone」や「iPad」などの部品を供給する工場新設資金をアップルが提供)によってなんとか救われた。「ゾウの時間」と揶揄される日立に対し、東芝が標榜してきた「スピード経営」が今や消え失せた感がある。その原因は09年のトップ交代。現会長、西田の「早すぎる社長退任(在任4年)」を惜しむ声が社員や株主の間から漏れ聞こえてくる。
 社長在任期間中の西田の実績は、数字ではなかなか表せないが歴代社長を寄せ付けないほど大きい。
「選択と集中」。東芝で最初にこれを唱えたのは西田から7代さかのぼる元社長の岩田弐夫(在任期間1976〜80年)といわれ、特にバブル崩壊後の低迷に苦しんだ佐藤文夫(1992〜96年)以降の社長は金科玉条のごとく、このフレーズを経営目標に掲げたが、実現できたのは西田だけ。在任中、東芝セラミックスや東芝EMI、東芝不動産などを売却する一方、米原子力大手ウェスチングハウス(WH)社買収やNAND型フラッシュメモリーなどへの集中投資で事業構造を大きく変えた。またノートパソコン事業での成果をもとに、テレビ事業などでも製造のアウトソーシング体制を確立。7期連続の赤字となる見通しのソニーを横目に、東芝はシェア拡大(薄型テレビの世界シェアで09年の5.3%から11年に10%への引き上げを目指す)と黒字転換を同時に達成している。

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