インドに汚職の種は尽きまじ

執筆者:2011年1月26日

 

 アジアの成長エンジンとして存在感を増すインドが、相次ぐ汚職騒動に揺れている。この手の事件は今に始まったことではないのだが、数と規模でいうと最近は確かに目立つ。昨年春以降、携帯電話のライセンス発給に絡む贈収賄事件でラジャ通信・IT相(当時)が辞任。国営銀行幹部を巻き込んだ不正融資事件や英連邦競技大会の工事・イベント発注の見返りとした大会役員らの収賄疑惑など、高度経済成長軌道の回復とともにこうした経済犯罪もまたぞろ増加しつつある。
当たり前だが、こうした汚職の続発が国家に与えるダメージは小さくない。内外から巨額投資が見込める電気・通信部門や金融部門など重要セクターに対する信頼度が損なわれ、株式市場でもスキャンダルのたびに株価が急落している。
1991年にはじまった経済改革を開花させながら2004年、2009年の総選挙で敗北し髀肉の嘆を託つインド人民党(BJP)は、相次ぐ汚職事件を受けてここぞとばかりに政府批判を繰り広げ、マンモハン・シン首相の責任を追及した。だが、BJPも党有力者・南部カルナタカ州のイエドユラッパ首相(知事に相当)が土地取引に絡む汚職疑惑でいったん辞任に追い込まれるなど、今ひとつ旗色が冴えない。
「汚職まみれのインド」というネタは、「カースト」「貧困」「差別」「奇祭」などと並んで日本のメディアが取り上げるメニューの主力だが、汚職がはびこる背景事情やガバナンス全体に与える影響、国民世論の動向といった切り口はあまり見かけない。
政治に詳しいインドウォッチャー氏によると、「公務員の給料は安いから、末端の汚職などはある程度黙認しているフシがある。その代わり重要ポストには清廉で優秀な官僚を配置して要所を締めているのがインド行政機構のすごいところ」と話すが、それにしては最近汚職が多すぎる気がする。
つまりは、商売のネタとなる限られた資源を適正に割り当てるためのメカニズムが機能不全を起こしていて、まっとうに行政手続をしていてはいつまでも順番が回ってこない、ということが汚職の背景にあるような気がする。「健全な競争」がまだ根付いていない、かつてのライセンス・ラージ(許認可王国)の亡霊を見る思いだ。
あるいは、激しい競争を勝ち抜いて官僚や政治家の地位を得た人たちが、ここぞとばかりに私腹を肥やして投資の回収を図る、という構図も考えられる。
筆者の個人的意見としては、12億の人口を抱え、これほどの多様性と格差、教育や情報の不均等などがあることを考えると、インドの政治家や役人の汚職や怠慢がこの程度で収まっており、アフリカや中南米的な混沌に陥ってはいないのはむしろ立派なことだと思うのだが、インドに甘すぎるだろうか。
最近はインド人自体が徐々に汚職問題と真剣に向き合うようになってきているのも事実だ。ニュース専門局はしばしば隠しカメラを使ったおとり取材を敢行し、悪徳警察官や父兄に金を要求する学校幹部らを血祭りにあげてきた。何よりも国際的な外聞を気にするのもインド人の特徴。「清潔度」調査で世界80位や90位にランクされたままでは我慢ならないはずだ。僭越ながらインドの民度向上に期待したい。(山田 剛)

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