動く中台「辛亥革命100周年」が意味するもの

執筆者:野嶋剛2011年2月15日
辛亥革命で清朝を打倒した孫文 (C)時事
辛亥革命で清朝を打倒した孫文 (C)時事

 中国の辛亥革命の勃発から100周年を迎える今年は、中国、台湾、世界の華人たちにとって特別な1年となる。辛亥革命は中国近代の夜明けであり、混沌の始まりでもあった。軍閥による群雄割拠、日本の侵略、国共内戦、中台分断……。アジアと世界に与えた影響の大きさは甚大であり、いまなお「後・辛亥革命」といえる時代に我々は生きていると言うことも可能だ。今年から来年にかけて私たちは、いかに辛亥革命100年をめぐる様々な動きをウオッチするべきか考えてみたい。

1911年10月10日

 清朝末期、孫文らを筆頭とする清朝打倒を目指す革命勢力は、失敗を繰り返しながら次第に力を蓄えていた。1911年10月10日、武昌で起きた反乱をきっかけに武装蜂起が全土に拡大。1912年1月に中華民国の成立が宣言され、同年2月に宣統帝・溥儀が正式に退位することによって達成された革命であった。
 武昌での蜂起は「武昌起義」と呼ばれ、中国では口火を切ったことを意味する「首義」とも言う。台湾のナショナル・デーが毎年10月10日(「国慶節」、または2つの10で「双十節」と呼ばれている)に行なわれるのも「武昌起義」を記念したものだ。
 孫文らが結成した中国国民党は革命を成し遂げた。しかし、日中戦争を経て、中国共産党との内戦に敗北し、台湾に撤退。辛亥革命によって建国された「中華民国」は蒋介石の指導する国民党が持ち去り、1949年に共産党は中華人民共和国を建国した。
 その意味で、共産党は辛亥革命の後の第2次革命を成し遂げたという歴史的立場であり、一方で、国民党は共産党によって中国大陸の支配権を奪われたが、辛亥革命の正統な歴史は我と共にあり、という意識が強い。

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