タクシン批判の急先鋒だったソンティ氏(c)EPA=時事
タクシン批判の急先鋒だったソンティ氏(c)EPA=時事

 国境の微妙な位置に建てられた古いクメール様式のプレアビヒア(タイ名はプラヴィハーン)寺院の領有をめぐって、タイとカンボジアの紛争がキナ臭さを増しつつあった2月8日、タイ字経済紙の「クルンテープ・トラキット」は、最大の反タクシン政治勢力である「民主主義のための市民同盟(PAD)」の組織者で代表的存在のソンティ・リムトンクーン(林明達)が1月下旬に香港経由でクウェートを訪れタクシンと密談した、と報じた。  かりに密談が事実なら、タイ内政の膠着した対立図式に転換を迫ることになるだけでなく、王国としてのタイの将来にも大きな影響を与えかねないことになる。

「反タクシン」から「反王制」へ?

 密会が報じられた当日、早速ソンティは記者会見を開き1月下旬の香港行きは認めたものの、クウェート行きは否定し、政権与党である民主党が流した偽情報だと主張した。だが彼がタイに戻った翌日の25日、PADがバンコクの首相府前での座り込みデモを始めたことから、彼の外遊がアピシット政権打倒の動きと関連しているとの見方も出ている。じつはPADはカンボジアとの国境紛争に対するアピシット政権の対応を「弱腰」と執拗に糾弾し、政権打倒を掲げてきたのだ。
 王室守護を掲げ国王を表す黄色のシャツを着たPADが首相府と国際空港を長期に亘って占拠し、タクシン義弟のソムチャイを首班とする親タクシン政権を退陣に追い込み、現アピシット政権樹立への道を拓いたのは08年末。この運動の先頭に立ち続けたのがソンティだった。その後、新政党結成やら暴漢に襲撃されるなど話題にはこと欠かなかったが、昨年3月から5月にかけ赤シャツを着たタクシン支持派の「反独裁民主戦線(UDD)」がバンコクの繁華街を長期占拠し反政府運動を激しく展開した際には、奇妙にもソンティが反タクシン・親アピシットの姿勢を積極的に打ち出すことはなかった。
 首相府での座り込みデモ開始から4日目の28日、ソンティはデモ参加者を前に「アピシット政権を『サクディナー(タイの封建制度)連中』が背後から支えている」と演説したのである。タイの政治集会に立つ指導者は一般的に雄弁であり、聴衆を煽動するのに長けている。ソンティもその例に漏れず、05年末にバンコクで反タクシン運動を始めて以来、過激な演説で運動を牽引してきた。だが、攻撃の的は専らタクシンの反王室姿勢であり不正蓄財であった。時にタクシンを、王室を破壊し共和制を目指す犯罪者とまで罵っていたほどだ。であればこそサクディナーへの言及は唐突に過ぎるとともに、衝撃的ですらあった。というのも、サクディナーの至高の守護者こそが国王なのだ。つまりソンティは反王制に一歩踏み込んだことになる。

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