中東情勢の展開があまりに早いために、スーダン南部の分離独立を問う住民投票の実施はずっと昔であったかのような錯覚に襲われます。投票は1月9日から1週間にわたって実施され、周知の通り、99%近い賛成によって分離独立が確定しました。

 南部スーダンの誕生と、中東における強権体制の連鎖的崩壊------。両者は一見、無関係に見えますが、底流の部分で呼応し合っていると、私は考えています。南部スーダンの独立は、スーダンのバシル強権体制の弱体化の象徴であり、スーダンでも民衆の不満が反政府デモとなって噴出しています。

 国際社会の耳目がスーダン南部の住民投票に集まっていた1月12、13の両日、スーダンの首都ハルツームなど北部の各都市では、学生の反政府デモが発生していました。デモはいずれも小規模でしたが、スーダンでは反政府デモの発生自体が極めて異例であり、警官隊との衝突で負傷者や逮捕者も出ました。

 1月12、13日と言えば、一連の中東政変の幕開けとなったチュニジアの政権崩壊の前です。注目すべきは、当局の厳しい弾圧にもかかわらず、デモが一過性の現象に終わらずに2月に入っても散発的に発生していることです。一番最近では2月24日、首都ハルツームで、約1000人が数時間にわたって幹線道路を占拠するデモがありました。

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